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前回のブログでは、弘法山の頂上までの登山道に三十三体の石でできた観音様が祀られていることを紹介しました。 → https://shioda-machidukuri.jp/1353
西国三十三観音は、江戸時代の後期寛政5年(1793年)に近畿2府4県と岐阜県の札所の観音様を塩田に勧請したもので、その当時のものは木造でした。それが年月が経てくる中でだんだんなくなったり傷んできたので、地元の人や石工組合の人たちが今の石造の観音様をお祀りしたのです。
で、江戸時代の木造の観音様はどうなったかというと、三十三体のうち半分ほどはなくなってしまいましたが、十六体は今も残っています。
どこにあるかというと、前山寺の三重塔の横にある「明王堂」の中に収められています。
前山寺の奥の院が弘法山の頂上の下にあり、弘法山の元々の名前「獨股山」(とっこさん)がこのお寺の山号になっているように、弘法山と前山寺はつながりが深いというか切っても切り離せない関係なんですね。
明王堂は、「不動明王」を祀るお堂で、炎の光背の前に黒くて怖い顔をした不動明王像が真ん中にあり、その両側に金色に輝く観音様が並べられています。
舞田の法樹院横の虚空蔵堂にある「坂東三十三観音」もそうですが、観音像が今も金色に輝いています。
こんな金色のしかも木造の観音像が弘法山の険しい道に祀られていたなんて、なかなか想像もつきませんが、江戸時代の人たちってすごいことをするんだなあと、ほとほと感心しますし、信仰心の深さを感じます。
明王堂は、普段は扉が閉まっているのですが、この日は住職に特別に開けていただき写真を撮ることができました。元々の主人公である不動明王にもしっかりとお参りさせていただき、観音様を写真に納めました。(F森)