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女神岳は標高927メートル。野倉地区のすぐ上にそびえています。北は別所温泉と山田、東は手塚。
この山、最初の写真は舞田の別所線沿線から写したものですが、円錐形でとても美しい形をしています。富士山かとも。
ところが、ほかの方角から見ると、これが同じ山か?と思うほど形が違います。
2枚目の写真の左は、山の東側、西前山から撮ったもの、右は山の西側、野倉の夫婦道祖神の近くからのものです。
形も面白いのですが、名前も魅力的です。
「女神」という名前なので神様が祀られているのかと思うと、そのとおりで、しかもその神様はイザナミノミコト。夫のイザナギノミコトとともに、日本の国土と数多くの神様を生み出した方。日本の母と言ってもいいでしょう。
明治時代、全国の各村から政府に村の現状について事細かく記した報告書が提出されたのですが、野倉村が出した報告書には、「女神社」の名と、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祭神であることが書かれています。
野倉からの登り口には鳥居があり、頂上には二つの祠があります。その上の木札には「女神山天宮大神」と「城山大神」と書かれています。明治時代の報告書より180年ほど前に、上田藩に野倉村が出した同じような報告書(「宝永の差出帳」といいます)があるのですが、そこには「大六天宮及び姫宮」が村内に祀られているという記述があります。
「城山」は女神岳の別名で、城が築かれていたからか、もしくは夫神岳との関係で「情山」からきているという方もいます。
木札や宝永の差出帳に「イザナミノミコト」は出てこないのですが、この辺は研究課題ですね。
女神岳のすぐ隣、北西にそびえているのが夫神岳です。
ここの頂上は、別所温泉の雨乞い行事「岳の幟」の出発地点で、九頭龍神の祠の前で祈りをささげた後、幟を担いで温泉街を練り歩きます。その祠の横にあるもう一つの祠は「イザナギノミコト」を祀ったものです。
つまり、女神岳と夫神岳はイザナミノミコトとイザナギノミコトという夫婦の神様をそれぞれ祀った、夫婦の山なのです。
それぞれの山から湧き出た水は一緒になって「愛染川」となり、別所の温泉街で「湯川」になります。
前にも書きましたが、ここには「女神城」というお城がかつてありました。
治承4年(1180)に越後の国の城四郎資長(じょう しろう すけなが)の家臣が築いた城といわれています。平安時代末期の頃です。養和元年(1181)に木曽義仲に敗れ落城したと伝わっています
頂上の直下には石積みもあります。今は木がたくさん生えていて頂上からの展望は良くないのですが、木がなければ360度見渡せる、城を築くには良いところだったのでしょう。
最後のもう一つ。「塩田の名水」で取り上げた「山田湧水」と手塚の「竜王湧水」、そして野倉の「延命水」。方向は違いますが、女神岳から出てきています。水の「母」でもあるのです。(F森)