ため池の諸元
| 所在地 | 上田市手塚字滝沢無番地 |
|---|---|
| 築造年 | ●1817年(文化14)新築願書提出 1827年(文政10)3月 起工 ●1829年(文政12)3月24日 竣工 願い出てから12年目に築造できたことになる |
| 堤高 | 7.16m |
| 堤長 | 142m |
| 受益面積 | 5ha |
| 貯水量 | 14,200㎥ |
池で見ることの出来る希少植物
概要
女神岳(927m)の東山麓から平地に出る境あたりで、手塚の金井集落のすぐ南側に築造されています。
不動池の北北東下流約350mに舌喰池があり、その東側に塩田の里交流館(とっこ館)及び、さくら国際高等学校があります。また、池の西北に隣接して皇子塚古墳(上田市指定文化財)」、南に近接して桜の名所・榛名山(はるなやま)、浄土宗・無量寺、手塚八幡社があります。
不動池への用水取り入れ口は二系統あります。
①「滝の沢」からの取り入れ。古く築造当時からの取り入れ口で、女神岳の山裾(やますそ)、無量寺の裏側(西側)を流れている沢水です。
②上流「産川」から取水して導水してくる「新堰」からの取り入れ。1938年(昭和13)に築造された「沢山池」の少し下流から取水され、産川左岸の山裾を導水してくる水路です。新堰は山田まで延びています。
エピソード
「不動池」という名前の由来について大正の手塚村誌では次のとおり述べています。
寛保2年(1742)8月1日、洪水あり。字滝沢より字龍王に至る地籍内の山腹崩壊せることあり。その箇所の一部分を選し、文政10年(1827)3月より起工、同12年3月24日竣工す。右池築堤の際、土中より仏体不動尊の木像一個を掘り出し、池の西方に祭祀す。これに因み不動池とも称す。
不動堂は、字滝沢、新池の辺りにあり。寛保2年(1742)、洪水にて山腹決壊のため旧滝沢 山腹所在の仏堂、土中に埋没せられたるを、後、文政13年(1830)、新池築造に際し発掘せしを今の所に勧請す。本尊不動明王、祭日は毎年彼岸社日とす。 (以上:原文)
この洪水は後世に「戌の満水」と呼ばれることとなった史上最悪の大水害でした。被害は関東甲信越に及び、千曲川流域では水たまりに屍 山をなし、上田領内では死者540人、家屋流失1100戸、等が伝えられます。
なお、掘り出した不動尊を祀った「不動堂」は今はなく、その不動尊はどうなったのか、今のところ判明していません。
