中野前池 なかのまえいけ

中野前池 なかのまえいけ

ため池の諸元

所在地中野字池下無番地
築造年1630年(寛永7)上田藩仙石時代初期
堤高5m
堤長560m
灌漑面積24ha
貯水量39,700㎥

池で見ることの出来る希少植物

スズサイコ  カセンソウ  ツルフジバカマ 

概要

(1) 中野前池の三杯池
中野地区は、水田が八割以上もある稲作地帯でしたが水利の便が悪く、古くから干ばつに見舞われ村民の苦しみの種でした。中でも中野前池は、「中野前池の三杯池」と言われ、稲作にはこの池の水の三杯分が必要でした。一杯は冬の間に貯めた分で、あとの二杯分は水上(上流)や山田池などからの水に頼っていました。

(2) 前池よりも上にある水田は「池はずれ」、下の方で池の水がかかる水田は「池がかり」と呼ばれました。


エピソード

ひでりが続いて中野前池に水がなくなると、村中総出で雨乞いをしました。夕方薄暗くなってから、竹や棒の先に麦ガラをしばりつけた松明(たいまつ)に火をつけて「雨降らせたんまいな、ナーム、諏訪の大明神」と唱えながら池のまわりを何度も回りました。すると不思議にもたいてい雨は降ったようです。それでも大ひやけの時は、諏訪の上社まで行ってお水をもらい、青年会が駅伝式に和田峠を越えて運び、中野・諏訪神社の境内にある井戸に入れて、雨が降るのを祈ったこともあったそうです。

「元木の地蔵、末木の薬師」の伝説は、―快く水をくれた手塚と水をもらった中野の深い関係を物語るものーと言われ、中野地区では、今でも毎年正月には手塚の正副自治会長・協議委員・水利関係者を公民館にまねき懇親会をしています(ふるさと塩田・村々の歴史)。

 

「元木の地蔵・末木の薬師」
むかし、独鈷山のふもとの元木沢に、柳の大木が立っていました。
塩田を回ってこられた弘法大師さまは、その立派でみずみずしい柳の木に不思議な力を感じ、霊木として、幹の根元の方で地蔵尊をきざみ、手塚の元木沢の岩場に北向きに祀りました。また末の方を使って薬師尊をきざみ、中野地区にお堂を建てて南向きに安置しました。
元木の地蔵さまと末木の薬師さまはもともと一本の柳の木を分け合って作られたので、向かい合うように設置されたのです。手塚の地蔵尊は中野の方を向き、中野の薬師尊は手塚の方を向いています。また同じ人が刻んだので、ほぼ同じ大きさです。
こんな縁から、手塚地区と中野地区は大変に仲が良かったそうです。
ある時、中野前池の土手道を馬に乗った人が通りかかりました。すると突然に馬が「ヒヒーン」と暴れ出してころび、人も馬も大けがをしてしまいました。それは、地蔵さまと薬師さまの向かい合う目線(直線で約三キロメートル)の邪魔をしたからでした。そこで村人は謝罪の意を込めて、土手に馬頭観世音を建てました。 (文責・神田愛子)

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