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塩田平にため池がたくさんあることは、このブログでも紹介してきました。江戸時代には3百以上もの池があったといわれています。今は、米作りが減ったことや都市開発などの影響で数はだいぶ少なくなっていて、塩田平土地改良区に登録されている池は41.ずいぶん少ないように見えますが、41池の貯水量を全部足すと3百万トン。4人家族が1年間に使う水の量は約3百立方メートルだそうですから、1万世帯が年間で使う水を賄えるくらいだということです。
ため池は、田んぼに水を供給することが目的で造られたのですが、今では、田園風景に欠かせないものですし、貴重な動植物の宝庫でもあります。
そんなため池をこのブログで少しずつ紹介していきます。
最初は、上本郷の「上窪池」。貯水量は2万5千トン。満水時の面積が1.2ヘクタール。大きなため池ではありません。41のため池の中では中くらいの規模です。
日本遺産の象徴でもあるレイライン。烏帽子岳・信濃国分寺・生島足島神社・泥宮・女神岳を一直線に結び、かつ夏至の朝日が照らす道でもあります。その泥宮の鳥居からは、夏至の朝日が烏帽子岳から昇るのが見えます。そして、その間にあるのが上窪池。泥宮のすぐ横にあり、2枚目の写真で、朝日が昇るところが池に鏡のように映っています。
泥宮のご神体は稲作になくてはならない「泥」。上本郷は塩田の中でも早くから米作りが始まった地域です。そして、上窪池は昔は「泥池」と呼ばれていました。池が築造されたのは江戸時代初期の1645年ですが、その前から小さな池があって、それを拡張などして整備したのがその年だと考えられます。
そして、上窪池では、塩田で最初に鯉の養殖が始まったところでもあります。1959年(昭和34年)にこの池で始まって塩田中のため池に広まり、昭和50年代までは、塩田は全国でもトップクラスの鯉の生産地帯だったのです。上窪池の隣の泥宮の境内には、養鯉10周年を記念した碑も建てられています。(F森)