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塩田の秋 その2 塩田中学の校門を入ると・・・

 東塩田や西塩田、別所温泉からも、自転車や別所線の電車を使って生徒が通ってくる塩田中学校。約560名の生徒数。昭和31年(1956年)に4村が合併して「塩田町」になった2年後に、それまで塩田の各村にあった4つの中学を統合してできた学校です。
別所線塩田町駅の横の校門から中に入ると、まっすぐ伸びた道の両側は、真っ黄色の銀杏と真っ赤なドウダンツツジ。この中を毎朝、生徒たちが勉学の場に向かいます。「今日もがんばるぞう!」とやる気が出るといいなあと応援してしまいます。

 

 ところで、この道を真っ直ぐ行って昇降口の手前にある庭にあるのが「信州の学海」の碑。
「信州の学海」は、鎌倉時代、京都の南禅寺(石川五右衛門がこの寺の三門で「絶景かな、絶景かな」と名セリフを言ったという有名なお寺)を開いた無関普門という方が、塩田で修行し「塩田は信州の学海である」と書物に記したことから言われている言葉で、碑文の内容は、修行僧が遠くからもたくさんこの地に来て学んでいたという趣旨です。
中学の北側にある「学海団地」。昭和48年(1973年)に長野県企業局が造成した住宅団地で、分譲住宅、県営・市営住宅がたくさんあるところです。学海北と学海南の自治会があります。住所としては多くが「中野」地籍にあるこの地域で住宅団地にどうして「学海」という名前を付けたのか? 理由はわかりませんが、個人的な考えでは、やっぱり「信州の学海」を意識したのではないかと思います。
で、塩田中学に戻りますが、「信州の学海」の碑。塩田に一つの中学にある碑です。毎朝この横を通って教室に向かう子どもたちに、塩田で育んできた勉学の場の大切さを伝えるという意味があるのでしょうか。卒業しても、この「学海」の言葉を忘れないでほしいと思います。
(F森)

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