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生島足島神社の御柱祭。6年に1度、寅年と申年に行われる行事ですね。御柱祭というと、なんといっても諏訪大社のものが有名です。急坂を滑り降りる「木落とし」や川を渡る「川越し」など多くの人たちでにぎわう一大祭事。諏訪の御柱がどういう目的で始められたかは諸説あるようですが、いずれにしても祭神の「建御名方命」(タケミナカタノミコト)のためのものです。
それに対して、生島足島神社のお祭りは、建御名方命が生島神・足島神のために行うものだそうです。大国主命の次男である建御名方命(諏訪神)が「国譲り」の戦いに敗れて諏訪に向かった時、ここを訪れ、生島神・足島神のために御柱をささげたということです。このお宮では、毎年の行事として「御籠祭」(おこもりさい)が行われます。これも諏訪神が11月から4月にかけて、お粥を生島神・足島神に毎週献上するもの。先住の神に対して礼を尽くしたということでしょうか。
御柱大祭は3日間。初日は「宵宮祭」。諏訪神が生島足島神社の東にある「御旅所社」に移られるもの。次の日が一番の見どころの「本大祭」で、お練り行列と柱の里曳きです。
御旅所社から生島足島神社まで、距離にして1kmちょっとというところでしょうが、お練りのなが~い行列が到着するまで約4時間。ゆっくり、ゆっくり、休憩もはさみながら進みます。大名行列を模して「下~に、下~に」と声をかけながら、槍や箱を担いでのパフォーマンスもあり、時間がかかるわけです。江戸時代の参勤交代の際もこんな風にやったのでしょうかね?
で、行列の後からは赤松の大木を伐った4本の御柱が引かれてきます。いつもは人の手で引かれるのですが、今回はコロナ禍ということで2本ずつトラクターで引っ張ってきました。
御旅所社から真っすぐ坂を下りてくると、生島足島神社の東の鳥居があるのですが、お練りも御柱もそこから境内に入るのではなく、わざわざ狭い道をぐるっと回って西の鳥居から入ります。今回、御柱はトラクターで引くということで東から入りましたが。
なぜ、夏至の朝日が昇る東ではなく、冬至の夕日が沈む西の鳥居なのか?一説にはお宮から見て西の鳥居のまっすぐ先に「泥宮」があるからといいます。
明治時代の泥宮に関する文書に「もと諏訪(本郷村にある小字)にあり。古伝に中古、下之郷へ遷座の際遺霊を当地へ遷す」という記述があります。泥宮の神様が生島足島神社のところに遷ったのだということでしょうか。泥宮の神様は諏訪神(建御名方命)なので、生島足島神社の摂社の諏訪社に遷ったとも考えられます。
いずれにしても泥宮と生島足島神社は深い関係にあり、上宮の一の柱を曳くとき、先頭には泥宮のある上本郷自治会長が立ちます。
なにはともあれ、いつもとは違うトラクターで曳かれた御柱は、4本とも無事にお宮に着き、次の日建てられる場所に置かれました。(F森)