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大僧正の「願い」と「覚悟」を見た 常楽寺美術館

半田孝海大僧正常楽寺の第55世住職で、善光寺大勧進副住職も務めた天台宗のお坊さんです。
 没後50年を記念して、彼が収集した美術品などを展示する企画展が8月から常楽寺美術館で行われています。
明治19年(1887年)の生まれで、30歳で常楽寺の住職に。その後、昭和4年(1929年)には天台宗教学部長、昭和20年(1945年)には善光寺大勧進の副住職になっています。
また、平和に対する思いは強く、太平洋戦争中に日本に強制連行され、亡くなった中国人の遺骨を故国に送り還す事業や、原水爆禁止長野県協議会の立ち上げ、長野県日中友好協会の設立など、本当に精力的に平和運動を行いました。
 その半田孝海師が収集した古瓦。企画展の初っ端に展示されています。比叡山延暦寺にいた頃、京都の骨董屋を回り、集めたものだそうです。奈良の東大寺や興福寺、京都の平安宮、信濃国分寺などの瓦が並んでいます。彼は、全国の瓦500点余りも集めたのだそう。
そして、彼と交流のあった画家などの作品もあります。
 山口蓬春が帝展で入選した「秋二題」。彼が別所に来たときは、孝海師が酒代を工面してやったとのこと。入選した後、大勢引き連れ別所にやってきて、大騒ぎもしたと孝海師が語っています。
ほかにも仏画家の荒井寛方の「常楽寺縁起」や。倉田白羊の「崖を負う家」、「琉球の香炉」など。白羊は、上田に縁の深い山本鼎や石井鶴三たちと交流があり、農民美術や児童自由画教育に協力するため、自身も上田に移住します。展示作品は、彼が孝海師に寄贈したもの。
孝海師自身が揮毫した「慈眼視衆生」は、法華経に出てくる観音様の眼のことだそうです。半分開いて半分閉じている。開いた半分は衆生に対する慈悲の眼、閉じた半分は、自分を厳しく見る眼。
写真では、その隣に荒井寛方の「北向観音画像」があります。一切衆生を救う観音様のような人だったのでしょうね、孝海師は。

最後は、平和運動に関する写真が展示されています。 善光寺の門前通りで原水爆禁止の行進、原水爆禁止世界大会でのあいさつなど、師の平和運動に全力を挙げるという覚悟が見て取れます。

 

 

 

 「常楽寺55世半田孝海没後50年記念 企画展 慈眼視衆生」は、12月25日まで開催されています。(F森)

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