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前山寺三重塔の謎 いつできて、どうして未完成なのか? 後編

 前山寺が建てられたのが今から4百数十年前の室町時代末期と考えられているということを前回お話しました。 → https://shioda-machidukuri.jp/1637
そして、「未完成」ということ。

 

 

 どこが未完成なのか。2枚目の写真は1層目のものです。手すり(欄干)や縁(廊下)があります。でも3枚目の写真ををみていただくと、○で囲んでありますが、2層目と3層目にはこれらがないですし、窓もありません。
では、なぜこの時代に造られたのか、そしてどうして未完成だったのか?
室町時代、この時代は後半は戦国時代と重なりますが、長い間「福沢氏」の一族が、塩田を始め上田小県のかなりの地域を治めていました。坂城の村上氏の一族(部下のような武将と言う人もいますが)のようです。

 福沢氏は相当財力もあったようで、諏訪大社の御柱や高野山のお寺に長い間寄進をしたりしていました。塩田城主もこの一族だということです。塩田城は、かつては「塩田北条氏」が造ったものと考えられていましたが、発掘の結果、鎌倉時代ではなく室町時代の遺物しか出てこなかったということで、今は塩田北条氏説は否定されています。
寺社にいろいろ寄進するほど信仰心もあって、財力もあるという福沢氏。室町時代末期に前山寺の三重塔を造れるのはこの一族しかいないと考えられています。
では、なぜ未完成なのか。上田小県最大の領主の福沢氏も、戦国時代の荒波の中で戦に巻き込まれます。当時の日本屈指の武将であった武田信玄は、信濃の国のかなりの地域を支配下に治めています。福沢氏も信玄公に攻められ、塩田城も落とされ、建築途中だった三重塔も完成させることができず滅亡してしまったようです。
地元の人間としてはちょっと悲しい現実ではありますが、三重塔は「未完成の完成塔」とも呼ばれる美しい塔。室町時代末期の塔は、鎌倉時代や室町前期のものと比べると1層目と3層目の大きさがあまり変わらなくて、いわゆる「ズンドウ」です。でも、前山寺の三重塔は、周りを囲む手すりがないので、ズンドウが目立ちません。スッキリしているということですね。いつ見ても、どこから見ても美しい塔に感じます。四季折々に訪れてその時々の雰囲気を味わうには最適の場所ですね。(F森)

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