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塩田平の文化財 珍名に珍エピソード 柳沢の二体の地蔵

東塩田の柳沢地区。今回は、ここの二体のお地蔵さんを紹介します。
 場所は、両方とも丸子から別所温泉につながる県道82号線の通称「丸子別所線」の道端にあります。安曽神社の近くから「柳沢バイパス」というのが数年前にできてますが、お地蔵さんたちは旧道の方。
まずは、東の方にある「鉄焼地蔵」(かなやきじぞう)です。「鉄」でできているわけではありません、石造です。道端の小さなお堂に安置されています。造られたのは江戸時代の終わりに近い頃の1807年。高さは55cmです。子育て地蔵とも呼ばれ、子どもが周りで遊んでいても怪我がないと言われています。雨乞い地蔵でもあるのです。
石でできているのになぜ「鉄」なのか。こんな逸話があるのです。
隣村の五加の娘さん。18歳の心優しい女性で、毎日、このお地蔵さんにお供えをしてから、男衆に弁当を届けていました。男衆の中に「つまみ食いをしている」と言いふらす者があり、お仕置にと、なんと娘の額に焼け火箸を押し付けてしまいました。
娘さんは、こんなひどい仕打ちを受け泣きながら家に帰りましたが、不思議なことに額に傷はなく、お地蔵さんの額にそれが移っていたのだそうです。信心の賜物。
 もう一体は、「背長地蔵」(せながじぞう)。高さは120cmと背が高いですね。
鉄焼地蔵より90年ほど前の1728年に坂田市右衛門という人が建立しました。
坂田家の屋敷内にあったお地蔵さんですが、管理がたいへんということで前山地区にある龍光院に預かってもらうことになりました。
その後、明治時代になり、子孫が蔵を建替えようとしていた建前の日の明け方、当主の妹の枕元にお地蔵さんが現れ、「蔵が建つようになったので、私も家に帰りたい」とのお告げ。
そこで、今のところに地蔵を安置し、坂田家でお守りしているとのこと。
二体のお地蔵さん。名前もちょっと変わっていますし、エピソードもユニーク。明治時代初めまで一つの村だった柳沢地区のお宝です。(F森)

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