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塩田平が日本遺産に認定されてもうすぐ1年半。「レイラインがつなぐ 太陽と大地の聖地」のテーマ・ストーリーは、35の文化財で構成されています。そのうち27は塩田平にあるものです。あとの8つはどこかというと、一つは丸子の東内にある法住寺の虚空蔵堂、そして信濃国分寺跡と信濃国分寺です。信濃国分寺関係だけで6つあり、合計8つ。
そうした塩田以外の文化財について、何回かに分けて紹介します。
まずは信濃国分寺から。信濃の国府が置かれた上田に国分寺ができたのが、今から1200年ほど前。741年に聖武天皇が全国に国分寺を建てるという詔を出して建設が始まったのです。
しなの鉄道の「信濃国分寺」駅近くに「信濃国分寺跡」があって、当時の礎石などが発掘されています。その後300年ほどで、戦などのため姿を消してしまい、少し高台にある今のお寺が再建されました。いつ頃からは分からないようです。
この信濃国分寺でまず取り上げるのが「三重塔」です。
高さは20メートル。室町時代中期に建てられたようです。上田小県にある4つの三重塔の中で一番古いのが安楽寺、次が青木村の大法寺、そして信濃国分寺がきて、室町時代末期と思われる前山寺が4番目。
これらの三重塔って、真ん中に柱があるのですが、それは一番上から二階までで、一階には真ん中の柱がないのです。普通、柱は地上から屋根に向かって立って建物を支えるのですが、三重塔の場合、下にはなくて二階から上にのびているのです。これで地震や台風に耐えられるのかなあと思いますが、ここも前山寺も、そして安楽寺も大法寺も、もう何百年も倒れることはありませんでした。
そうすると、一階は広く使えるわけで、信濃国分寺の内部はどうなっているかというと、大日如来像が安置されています。
普段は、もちろん塔の扉は開いていないので、内部を見ることはできないのですが、今年3月の別所線全線開通の記念で、信濃国分寺と安楽寺の三重塔が特別公開されたとき写真を撮らせていただきました。
「智拳印」という、左手の人差し指を右手で握るという形。「金剛界」の大日如来の印です。「智」の「金剛界」と「理」の「胎蔵界」という2つの世界の大日如来があり、その仏像が結ぶ両手の印は、智拳印の金剛界に対して胎蔵界は「法界定印」という、両手を重ねて親指同士を付ける坐禅で行う印を結びます。研究者によると、大日如来像には金剛界が多くあるそうです。安楽寺の如来像もそうですね。
そんな秘仏と三重塔のある信濃国分寺。でも、まだまだ面白い(?)ものがたくさんあります。次回もまたそんな国分寺の魅力をお伝えします。(F森)