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四国八十八所の霊場を信州の塩田で巡る その19 十人薬師堂

 江戸時代の元禄の頃、四国霊場の仏像を塩田に勧請した札所を巡る旅。19回目の今回は十人にある薬師堂です。7番札所
この薬師堂に祀られた四国霊場の仏像は4体。薬師如来、大日如来、阿弥陀如来と地蔵菩薩です。写真中央の上段にあるのはこの薬師堂の本尊の薬師如来。下段の4体が四国霊場の仏像で、右から大日如来、薬師如来、地蔵菩薩、阿弥陀如来です。配仏された仏像がすべて残っているのは、塩田の札所でも多くはありません。
この薬師堂、江戸時代半ばの1704年(安永元年)に創建されました。その後約70年後(1776年)に再建・大改築がなされたということです。
今の薬師堂は、十人の公民館建物の一角にあります。3年前に新しく建てられたきれいな公民館で、「薬師堂」と書かれたところに扉があって、その中に写真の仏像が安置されています。
江戸時代に再建されたときは、常光院という尼僧が住職でいたそうですが、その後住職がいないいわゆる「無住」状態になり、村が管理していました。そして、昭和35年(1960年)まで村の集会場として使用されたあと解体されたということです。
 今のきれいな公民館ができるまでは、別の場所に公民館があって、その中で、今とは配置がちょっと違っていますが、仏像が祀られていました。私も一度その様子を拝見しましたが、地域の方々が大切に守っているのがよくわかりました。今も、毎年4月8日には「甘茶会」という行事をしていて、薬師堂にお参りした方々に甘茶をふるまっているとのことです。
今の薬師堂は、普段は扉が閉まっているのですが、札所巡りの際に開けていただき、お参りとともに仏像の写真を撮ることができました。
ところで、「十人」という地域の名称。珍しい名前です。いつどのような理由でついたのかわかっていないようですが、塩田の各自治会が自分たちの地域の歴史などを記した「村々の歴史」という本によると、十人にある「皇子神社」に関係している説もあるとのことです。皇子神社はスサノオノミコトとタケミナカタトミノミコトが祭神ですが、元は「熊野王子権現」といい、熊野権現の12の神様「十二所権現」を祀っていたので、「じゅうにごんげん」がなまって「じゅうにん」になったという説が「長野県地名考」という本に掲載されているようです。
いずれにしても、単純に人の数を村の名前にしたものではなさそうで、もっと深く調べてみたい名前の地域であります。(F森)

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