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四国八十八所の霊場を信州の塩田で巡る 最終回 真光寺

江戸時代の元禄の頃、四国霊場の仏像を塩田に勧請した札所を巡る旅。いよいよ最後のお寺です。五加にある真光寺で、21番目の札所。
真言宗智山派のお寺で、本尊は聖観音。この宗派のお寺では大日如来とかが多いのですが、聖観音は塩田ではここだけ。
いつ創建されたかは不明です。前山の中禅寺などもそうですが、江戸時代の火災で書物が燃えてしまって、寺の歴史もわからないのです。
でも、本堂の左手にある大師堂には、元禄の頃に勧請した四国八十八霊場の仏像が並んでいます。当時このお寺に安置された4体の仏様がみな残されています。
写真では、正面に弘法大師像があり、両側に、柱で見えない仏像もありますが、薬師如来、地蔵菩薩、大日如来、11面観音菩薩が並んでいます。
 このお寺は、明治時代には小学校でした。明治5年(1872年)に、ときの明治政府が全国に学校を創るということで命令を出して、次の年、中塩田ではここに「盈進学校」ができました。塩田では、ほかにも、東塩田では生島足島神社に「載明学校」、西塩田では山田の満願寺に「昇高学校」という名前の学校ができて、今の小学校の基礎が築かれたのです。命令から学校設立までの時間がなく、校舎をお寺などに求めるしかなかったのでしょう。
「盈進」とは何か? 「孟母三遷」という、教育ママのはしりのような言い伝えのある中国の偉人の言葉をまとめた「孟子」の中に出てくる言葉です。「盈科而後進 放乎四海」(あなにみちてのちすすみ しかいにいたる)からきています。「水が流れるとき、くぼんだ所があると、まずそこに水がたまってから先へ流れていく」 学問も一歩一歩順を追って進むべきであるということです。この盈進学校を出発点とする今の中塩田小学校は、9年後の明治15年に真光寺から今のところに移転しています。そして、「盈進」は現在も受けつがれていて、小学校の学校だよりは「盈進」ですし、学校の裏の池は「盈進池」。
子どもたちには、盈進のように、少しずつ、そして着実に成長していってほしいものです。
札所八十八の仏様たちがきっと見守っているでしょう。(F森)

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