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NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主役は、小栗洵さん演じる「北条義時」ですよね。初代執権時政の子で、2代目執権になった人。その人の孫が政界を引退して塩田に移住し、3代にわたって塩田を治めたのです。
その孫の名は「北条義政」。義時の長男は3代執権になった泰時ですが、その弟で重時という人が義政の父親。
義政公、文武両道に秀でた方で、15歳の時、将軍御前の流鏑馬で射手の上位5人のうち第2位になったとか、続古今集などの勅選和歌集で13首選ばれる歌人でもあったそう。
そんな義政公、幕府第2位の地位になります。8代執権時宗と言えば、元寇で2度にわたって蒙古を退けた方ですが、義政は、最初の元寇「文永の役」(1274年)のとき、執権を補佐する「連署」を務めていました。
見事に蒙古を撃退した後、義政公は突如出家、隠退します。理由は諸説ありますが、信州の地に来て、ここ塩田に館を構えます。文永の役の3年後のことです。大役を仰せつかって一段落したからでしょうかね? 36歳の時の隠退でした。
塩田に居を構え、悠々自適の生活といきたかったのでしょうが、4年後の1281年に40歳で亡くなってしまいます。その息子「国時」は父の菩提を弔うためお寺を建てます。それが、今も前山にある「龍光院」。今は曹洞宗のお寺ですが、当時は同じ禅宗の臨済宗。本堂の屋根などには、北条氏の家紋「三ツ鱗」が付けられています。600年以上の樹齢と言われるケヤキの木の横にある「山門禁葷酒」と書かれた石碑。お酒やにおいの強いニンニクやニラなどを寺に持ち込んではならないという曹洞宗の厳しい戒律を示すものです。
この国時とその子の俊時、義政とあわせて3代この塩田で暮らし、「塩田北条氏」と呼ばれていて、鎌倉幕府滅亡までの約60年間、塩田を治めました。
龍光院の急な坂の参道横にある墓地には、義政の墓と言われる石碑が立っています。石の表面には文字が書かれていたと思われますが、なぜか消された風です。鎌倉幕府は1333年に足利尊氏や新田義貞などとの戦に敗れ滅亡しますが、国時、俊時の親子も鎌倉に出陣し、自害してしまいます。後難を恐れたのでしょうか、そのため初代のお墓の文字が削られたとも言われています。
塩田北条氏が塩田にいる間に、龍光院や東塩田にある西光寺が創設され、奈良尾地区にある「弥勒仏塔」と呼ばれる多層塔もできました。1290年代にできたと考えられている安楽寺の八角三重塔も、もしかしたら、いや、きっとこの一族の手でできたのでしょう。
塩田にとって大きな影響を与えた60年間。大河ドラマには出てこないと思いますが、今の塩田をも支えている大きな存在でした。(F森)