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信濃国分寺。「八日堂」と呼ばれていて、毎年1月7日から8日にかけて「八日堂縁日」が開かれます。
なんで「八日堂」なの? と思って調べたら、毎月8日に「金光明最勝王経」という10巻にも及ぶお経が読まれることから呼ばれたものだそうです。「読む」と言っても、「転読」といって、全部は読まないのだそうですけど。
そんな八日堂で最も有名と言ってもいいのが「蘇民将来符」です。ドロヤナギの木で彫られた六角形の護符。六角形のそれぞれには「蘇民」「将来」「子孫」「人也」「大福」「長者」と書かれています。「大福」とか「長者」っていうのは何となく意味が分かりますが、「蘇民」って何? とかどういう意味があるか、始まりは何?を最近まで知りませんでした。ボランティアガイドとして、信濃国分寺など塩田以外の文化財も「日本遺産」の関係でご案内するようになって勉強したことです。
このお寺には「牛頭天王之祭文」という上田市指定の古文書があります。室町時代のものと考えられているようですが、蘇民将来符ができたいわれが書かれています。
それによると、牛頭天王が后をめとりに旅に出たときの出来事に由来するようです。牛頭天王というのは、祇園精舎の守護神。京都の八坂神社などで行われる祇園祭の祭神です。その牛頭天王が旅に出て宿を探したのですが、金持ちの「小丹長者」に頼んだら断られてしまいました。でも、貧しい「蘇民将来」は貸してくれたのです。
実は、小丹長者の妻は蘇民将来の娘で、宿を貸してくれなかったことから牛頭天王が小丹長者一族を滅ぼそうとした時、蘇民将来の娘に「蘇民将来之子孫也」と書いた札を渡し、娘は無事だったのです。そこからその札がお守りとして全国各地で用いられるようになり、信濃国分寺のように木でできた六角形の護符のほか、紙とか木の札もあり、八坂神社のは粽(ちまき)に紙の札が付いているものです。
宿を断っただけで一族が滅ぼされる っていうのは「そこまでやる?」感じもしますけどね。
ということで、「蘇民将来」は人の名前でした。
この時期になると、蘇民将来符を作っている映像がニュースで流れます。木を六角形に切って、彫って字を書く。小さいのから大きいのまであって、たくさん作らなければならないのでたいへんな作業です。蘇民将来符のいわれを知った今、来年1月の八日堂縁日で新しい護符を買うのがますます楽しみです。(F森)