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今年も第3回が行われる「日本遺産 信州上田塩田平検定」に出た問題を紹介するシリーズ。
2回目は、舞田にある石造五輪塔です。
次のうち、舞田の石造五輪塔の写真は、どれでしょうか?
正解は、右端の「4」です。
五輪塔は、5層からなる塔で、下から「地輪」「水輪」「火輪」「風輪」「空輪」と名付けられています。
身分の高い人の供養塔として造られることが多かったようです。
舞田の五輪塔は県宝に指定されていて、高さは212cm。県内最大級の大きさです。造られたのは鎌倉時代の初めと推定されていますね。
だれの供養のために建てられたと伝えられているかというのが次の問題です。
1 この地を支配していた人
2 この地に寺を創建した人
3 この地の開拓に尽力した人
4 この地を災害から守った人
正解は「2」です。
この五輪塔の近くにある「法樹院」の寺伝では、1186年にこの地に金王庵という寺を創建した渋谷土佐入道昌順の墓塔となっています。昌順は幼名を金王丸といったので、寺の名前にも使ったのでしょうかね。金王庵は、その後、今の法樹院になったとのこと。
この五輪塔には面白いエピソードがあるのです。
明治時代のこと。舞田村の北側にある岡村の人たちは、五輪塔が鎌倉時代に岡村城の城主だった岡村権左衛門平清という人がいて、その人の墓であると語り継がれてきたそうで、舞田地籍にはあるけれども、これを岡村城跡に安置するべきということで、明治6年(1873年)5月、五輪塔を岡村に持って行ってしまいました。
五輪塔がないのに気づいた舞田村の人たちは、方々探し、岡にあることがわかったので、交渉して結局舞田に戻されることになったのですが、その時から両村の仲は悪くなり、お互いの縁談は行われなくなり、嫁入りの道筋も舞田地籍は通らないことになったそうです。
で、この状態が100年余りも続き、昭和50年にやっと両方で話し合い、いろいろ調査を進めて、昭和51年に仲直りの供養を五輪塔で行いました。そして、そのことは、NHKが取材して「百年目の和解」という題で放映されたそう。
ところで、選択肢の写真にあるほかの塔はどういうものなのか紹介しておきます。
左端の「1」は、中禅寺の五輪塔です。総高155cmで上田市で三番目の高さ。鎌倉時代の建立とされています。
「2」は、常楽寺の「石造多宝塔」です。これがある所は、平安時代、北向観音の本尊千手観音菩薩が火柱の立つ中から飛び出したということで、それを示すために多宝塔が建てられたそうです。
「3」は信濃国分寺の石造多宝塔。屋根や塔身に窪みがあるのですが、硬い石でたたいて粉にして飲むと病気が治るという昔の信仰の痕跡なのだとか。(F森)