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神社の名前の不思議① 由緒ある名前が消えた!?

塩田で一番大きな神社である「生島足島神社」は、平安時代の10世紀に出された国の公式文書「延喜式」に名前がある由緒あるお宮です。生島大神と足島大神を祀る神社。
また、前山の「塩野神社」保野の「塩野神社」も、どっちのお宮かはわかりませんが、「塩野神社」として延喜式に載っています。
その、とても古くて格式のある神社ですが、一時期別の名前で呼ばれていました。
戦国時代、甲斐の武田信玄が、川中島の戦いで勝つよう生島足島神社に出した「願文」という文書には、あて名が「下郷諏方法性大明神」になっています。また、真田昌幸・信之親子がそれぞれ出した文書は「下之郷大明神」
そして江戸時代の中頃、上田藩主が仙石氏から松平氏に代わった時、各村が現状などを藩に報告した1706年の文書(「宝永の差出帳」と言っています)には「諏訪大明神」と記載されています。「諏訪」の神様といえば、諏訪大社の祭神「建御名方命」(たけみなかたのみこと)です。生島大神と足島大神はどうしたのでしょう?
生島足島神社には、「摂社諏訪社」というお宮があって、祭神は建御名方命です。彼が出雲から諏訪に来るとき、途中に寄ったのが生島足島神社。先住の生島大神と足島大神にあいさつをし、おかゆまで献上して諏訪に向かいました。その建御名方命を祀ったのが諏訪社ですが、あくまで「摂社」。本来の神様と縁故が深いのですが、中心となるお宮ではありません。その名前が宝永の差出帳に。 なぜ?
同じようなことが塩野神社にも言えます。
 2枚目の写真の前山の塩野神社は、武田信玄が出した朱印状「諏訪社」とあり、宝永の差出帳も「諏訪明神」になっています。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)なんですけど、ここも境内に「諏訪社」があって、建御名方命が祀られています。そっちの方の名前になっています。
そして保野の塩野神社。戦国時代から江戸時代初めになんと呼ばれていたかはわかりませんが、宝永の差出帳には「諏訪大明神宮」とあります。祭神は日本でここだけという塩垂津彦命(しおたるつひこのみこと)。そして、「祇園天王」とともに「建御名方命」も合祀されています。合祀された方の神様のお宮の名前になっています。どうやら祇園天王と建御名方命を合祀することと、7月の祇園祭を行うようにしたのは、武田信玄の命令だったようですね。

 3つの神社は、遅くても戦国時代から諏訪系のお宮の名前になっていて、200年以上その名前で呼ばれていました。
「生島足島神社」の名前が復活したのは、江戸時代後半の1799年。塩野神社は、前山と保野でどちらが延喜式の塩野神社か争いがあり、寺社奉行から両方とも「塩野神社」と名乗ってはいけないと裁定され、復活したのは明治になってからの1893年です。
3つの神社が、中世から江戸時代まで、それぞれ本来の名前でなくなったのは、それも諏訪社系の名前だったのはなぜか?
謎です。
でも、いずれも武田信玄がかかわっていた神社です。もしかしたら彼がお宮の名前にも関係していたのか? どうなんでしょうね。(F森)

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