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1月9日から始まったNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。北条義時を主人公に、平安時代末期から鎌倉時代初めの武家社会を描いたものですね。
北条一族や源頼朝が中心人物になりますが、平家滅亡に大きな役割を果たした「木曽義仲」も登場する予定です。義仲は、幼少の頃、源氏一族内部の争いから逃れ、木曽で生活していました。
平清盛など平氏一族が権勢を振るう中、1180年に以仁王(もちひとおう)が平氏追悼の詔を発し、義仲はそれに呼応して挙兵します。その場所が、塩田から砂原峠を越えたところにある丸子の依田城。その後、倶利伽羅峠で平氏の大軍を破って京に入り、「旭将軍」とも呼ばれました。
その後、源頼朝が送った源義経の軍勢に敗れ、命を落としました。
この辺のところは大河ドラマの前半できっとやってくれると思いますが、義仲と塩田は、隣の丸子で挙兵したということだけではなく、実は関係があるのです。有力な武将の一人で義仲と最後まで一緒に戦った「手塚太郎金刺光盛」。手塚地区の人で、手塚治虫さんの先祖と言われています。
また、義仲の武将の一人「塩田八郎高光」は、五加地区に館を構えていたそうです。
そんな少なからぬ縁が塩田とある木曽義仲。彼にまつわる文化財もあるのです。そこで2回にわたってご紹介します。
1回目は、八木沢地区にある「八木沢天満宮」の「木曽義仲供養碑」。
八木沢天満宮は、天満宮ですから、学問の神様「菅原道真」を祀ったお宮です。その境内に、高さ1.2メートルの碑があります。正面には「朝日将軍義仲宣公大居士」とあり、側面には「五百五十年回向」と刻まれています。義仲の没後550年と言えば、江戸時代中期。八木沢村の治郎左衛門という方が建てたものです。
もとは八木沢にある「甲山」(かぶとやま)の峰に近いところにあったのですが、ここまで転がり落としてきたのだそうです。碑には天満宮を氏神としていた小松氏の家紋が入っていますが、治郎左衛門は、義仲と運命を共にした手塚太郎の子孫で小松姓を名乗っていたようなので、そんな縁で建立したのですかね。確証はないようですが。(F森)