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ドローンで撮影された塩田のため池を見るシリーズの2回目です。
今回は山田池。西塩田と別所温泉の間にある山田峠のすぐ下にある池です。山田と八木沢の二つの地区にまたがっています。
池の堤に立つと、眼下には、塩田平から上田の中心部の方までよく見え、その上には烏帽子岳や浅間山。南や西の方には、独鈷山や、写真のように女神岳が望めます。
大きい池です。貯水量は26万2千トン。塩田で一番大きいのが北ノ入池の26万6千トンですから、ほぼ同じ。一般家庭が年間に使う水の量が平均300トンと言われているので、900軒近いお宅の水を賄える勘定。
池が造られたのは、江戸時代初めの1615年。その約30年後に、2つ並んでいた池を一つにして大きな池になったそうです。
そんな大きな池ですから、改修する時のみんなの気の使いようはたいへんなものだったようです。二つの池を一つにした江戸時代の話。上田藩に設計書を出して許可をもらおうとしたら、もし堤が切れたら上田の城下町まで水が押し寄せるので、堤の高さを1尺下げるようにお達しがあったとのこと。10kmも離れたところにまで水が押し寄せるほどの水の量なんですね。
もう一つのエピソード。天保6年(1835年)のことです。当時は「天保の大飢饉」ということで、全国的に凶作、特に東北地方は冷害の被害がひどく、今も「飢饉」というとこの時が例に出されるくらいです。
塩田も凶作だったのでしょう。当時の八木沢村では、上田藩主の命令で、山田池にたまった土砂を近くの空き地に敷いて畑とし、甘草(かんぞう)という漢方薬に使う草を植えることにしたのです。収穫した甘草を売って、小作人の子どもたちの養育資金にしようというのが目的でした。
ところが、結局はうまく生育せず、失敗してしまいました。凶作の時だっただけに、皆さんがっかりしたでしょうね。(F森)