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今年初めて行われる「日本遺産 信州上田・塩田平検定」で出題されるかもしれない文化財の紹介シリーズその4です。
検定についての詳しいことはこちら→ https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/81695.html
生島足島神社の2回目です。今回のテーマは「摂社諏訪社本殿」。「摂社」というのは、メインのお宮の祭神と関係の深い神を祀る所です。生島足島神社の祭神である「生島神」「足島神」にとって、諏訪社の主祭神「建御名方命」(たけみなかたのみこと)は、とても縁のある神様なのです。
「諏訪社」という名前からお分かりのように、諏訪にある「諏訪大社」と同じ神様を祀っています。
建御名方命は、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の次男。天照大神(あまてらすおおみかみ)が大国主命に国を譲らせるために遣わせた建御雷命(たけみかづちのみこと)は、力づくで臨みます。建御名方命は反発し、戦いになるのですが、敗れて、結局は諏訪に住むことになります。
諏訪に行く途中、建御名方命は生島神・足島神に挨拶に寄り、米粥を献じたとされています。それが今でも「お籠り祭」(おこもりさい)として行われています。毎年11月3日に諏訪社から諏訪神が「神橋」を渡って生島足島社に遷られ、それから4月にかけて、1週間に一度諏訪神から生島神・足島神にお粥が献じられます。この「神橋」は、3枚目の写真にありますが、普段は一般の人たちは渡ることができません。神様が渡るものなのです。
6年に一度(7年目ごとに一度とも言われますが)行われる「御柱祭」も、諏訪大社は自分のために行うものですが、ここでは、諏訪神が生島神・足島神のために建てるものなのです。
2枚目の写真、県宝に指定されている諏訪社の本殿は、慶長15年(1610年)に、上田藩の初代藩主である真田信之公が寄進し再建されたものです。生島足島神社の本殿と向かい合わせに建てられており、その間に神橋があります。
実は、「生島足島神社」は、武田信玄や真田家が活躍した頃は「諏訪大明神」など「諏訪」の名前が付いたお宮だったのです。江戸時代も後半の寛政11年(1799年)になって、今の名前に改称されました。
なぜ、その頃「諏訪大明神」と呼ばれていたのか、今の「摂社諏訪社」との関係はどうだったのか、信玄たちがどの神様を崇めていたかなど疑問がわき、歴史書をいくつか見ましたが、わかりませんでした。
ただ、それはともかく、今の生島足島神社を見ると、日本遺産の構成文化財の中でも多くの方がお見えになる所でもあり、今の、そしてこれからの人たちの幸せをずっと守ってくれるお宮であり続けてほしいと感じます。(F森)