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今回ご紹介するのは、十人にある皇子神社と大きなケヤキの木です。
皇子神社の祭神はスサノオノミコト(素戔嗚尊)。天照大神の弟で、出雲の国でヤマタノオロチを退治した神様です。建長年間と言いますから、鎌倉時代の中頃、今から760年~770年前に、この地で悪い病が流行したので、出雲の国からミコトの分霊を勧請したとのこと。
そして、戦国時代、かの武田信玄の命により、諏訪大社の祭神である健南方刀美命(タケミナカタノミコト)を合祀しました。信玄は、諏訪明神を特に信仰していて、各地のお宮に祀ることを命じていたようです。
お宮の鳥居の近くにある大きなケヤキ。幹回りは7メートル弱、高さは30メートルにもなるということです。樹齢は不明なのですが、昭和20年(1945年)の太平洋戦争終結後、同じ時期に植えられたという境内にあったほかのケヤキが伐採され、その樹齢が300年近くだったので、今も残っているこのケヤキはもうすぐ400歳になろうかということですね。
ところで、観光客の方などにこの近辺のガイドをしていると、時々聞かれるのが「十人って、どうして村の名前になったのか?」「住んでる人が十人だったから?」。
この地域は、まだ村の名前もなかったと思われる縄文時代や弥生時代の遺跡があって、その頃から人が集団で生活していたので、10人しか住民がいなかったっていうのはないでしょう。
でも、なぜ「十人」という理由はわかっていないのです。一つの説なのですが、皇子神社が昔「王子権現」といい、さらにその前は「熊野王子権現」という名前だったそうです。で、熊野にある「熊野権現」の「十二所権現」をここに勧請したので、「十二所」が次第になまって「十人」になったということ。う~ん ていう感じもありますが、どうなんでしょう。名前の由来を知りたいと思う魅力的な地域名であることは確か。(F森)