ブログ

塩田平の文化財 鎌倉殿の13人 義時の孫の墓

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。いよいよ大詰めです。主人公である執権北条義時が承久の乱で朝廷と争い、後鳥羽上皇を隠岐の島に追放し、実質的な天下人になるというのが、史実からすると今後のドラマの展開なのでしょう。
 その北条義時。孫が塩田に住んでいたことはあまり知られていません。
承久の乱の約50年後、蒙古が日本に2度攻めてきます。「元寇」です。2度とも「神風」で蒙古は撤退します。時の執権は8代時宗なのですが、1回目「文永の役」で時宗に次ぐ政権ナンバー2だったのが義政。義時の孫になります。その義政、蒙古が撤退した後、善光寺にお詣りして、なぜか、塩田に移住してしまいます。そして、その後3代、50年にわたり「塩田北条氏」としてこの塩田平を治めます。
その義政、移住してきて4年後には亡くなってしまいます。子どもの国時がお父さんの菩提を弔うためお寺を建てました。今の龍光院です。当時は「仙乗寺」とか「千住寺」と呼ばれていたようで、今は曹洞宗ですが、創設されたときは臨済宗。
その龍光院の参道の途中、右側にある墓地の中にひときわ目立つ石塔があります。表面がごつごつしていて、文字があったかもしれないのですが、削られてしまったのか全くわかりません。
これが北条義政の墓と言われています。
 ここは眺めのいい所。西塩田と中塩田が一望できます。義政は、もう7百年以上にわたって、自分の治めた塩田平を高台から見つめているんですね。
(F森)

 

 

関連記事

  1. 塩田地域が独自に学校を造った頃の話
  2. 日本遺産に登録! その3 別所線としな鉄の記念切符が出た
  3. 「みんなのしおだ食堂」がじょうしょう気流で紹介されました
  4. 塩田平の文化財 珍名に珍エピソード 柳沢の二体の地蔵
  5. 「信州上田・塩田平検定」に出る(?)文化財その10 常楽寺
  6. 弘法山で三十三体の観音様を巡る① 頂上からの絶景も
  7. 塩田平の文化財 -幕末の偉人たちが残したもの-
  8. 長野大学生が以前発行した塩田や大学の歴史を紐解いた小冊子を改訂

最近のブログ記事

PAGE TOP