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塩田の古墳を紹介するシリーズ。第2回は「王子塚古墳」です。西塩田の新町にある「氷上王子神社」(ひかみおうじじんじゃ)の本殿のすぐ横にあります。この神社は、7世紀から8世紀頃に諏訪大社と同じ祭神である建御名方命と月夜見命を勧請して古墳の横にできたそうで、その後氷上王子命を合祀したということです。
この古墳は、上田市教育委員会の資料によると5世紀中期頃から6世紀前半にできたもののようです。日本が「倭」と呼ばれていた時代。大和王権が支配していた頃で、塩田の古墳の中では最も古い時代のものです。
で、この古墳の特徴はその形にあります。ホタテ貝のような形。ホタテ貝型古墳と呼ばれます。図にあるように、丸い円墳に小さい四角や台形がくっついた形状ですね。前方後円墳と似ていますが、一般的にはそれより小型のものだそうです。特に「前方」の部分が小さいのです。仁徳天皇陵のような大きなのが前方後円墳で、大和王権によって造るのが規制されていたという説もあります。相当の権力者のお墓ということで、だれでも造るわけにはいかなかったのですね。一方、ホタテ貝型古墳は地方の首長などのお墓で、全国に400ほどあるようです。でも、長野県内でも東信地方ではここだけ。珍しい。
市教委の資料では、全長が50.8mで、前方部の長さが20m、後円部の直径は39m。全国的にみると中規模で、上田地方を治めた首長の墓と考えられています。
1枚目の写真にあるように、お宮の拝殿の前に石段があり、円墳部分の上に上がれます。高さは6mあり、上には祠が4つ祀られています。
円墳の上から古墳全体を見ると、「ん? 四角の部分が見えない!」。そうなのです。「前方」の部分はお宮の建物を造るときなどに削られ、西側部分の一部が残っているだけのようなのです。残念。2枚目の写真の右側にある大きな木の下の緑色をしている部分がそうでしょうか?
この古墳は発掘調査が行われていないため、中の構造も不明、遺物も発見されていません。。謎に包まれた古墳だけに、どうしてこんな珍しいホタテ貝型にしたのか、だれを埋葬したのか、解明してほしいなあと思ってしまいます。(F森)