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塩田の古墳を紹介するシリーズ。3回目は「皇子塚古墳」です。西塩田の手塚の高台にある古墳。直径が約15mの円墳で、これまでにご紹介した他田塚古墳や王子塚古墳よりは小さいです。高さは約3m。造られたのは、上田市の調査では古墳時代後期ということで、古墳の中からは、刀や耳飾り、土器などの埋葬品が数多く出てきたそうです。
この地方を治めた豪族の墓と考えられています。下之郷古墳群もそうですが、ここも塩田平を見下ろせる高台にあります。塩田を代表するため池の舌喰池も眼下に見えます。この池は江戸時代に造られたので、豪族が活躍した時の風景とは全く違うのでしょうが、自分の治めた所を見下ろすというのは、権力者にとって気持ちのいいということもあるでしょうし、治めるためには、その地域全体を見渡すことも必要だったのかもしれませんね。
で、この古墳、実は日本遺産認定で一躍名前が知られるようになった塩田の「レイライン」上にあるのです。
塩田にはいくつかのレイラインがあり、まだ見つかってはいないけれどほかにもありそうなのですが、やっぱり一番有名なのが、烏帽子岳・信濃国分寺・生島樽島神社・泥宮・女神岳を結ぶライン。夏至の朝日と冬至の夕日が一直線にこの線を照らします。
そして、この皇子塚古墳、泥宮と女神岳の間にちょうど位置しています。
烏帽子岳と女神岳という自然界のものの間に、人によって造られた2つのお宮と豪族の墓。二つのお宮がいつ創建されたかは不明なのですが、古いことは間違いない。何らかの意図があってこうなったのか、「レイライン調査隊」に調べてもらいたいなあ。
と、突然「レイライン調査隊」が出てきましたが、詳しくはこちらをご覧ください。調査隊員も募集しています。 → https://shioda-machidukuri.jp/news/3059
(F森)