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「信州上田・塩田平検定」に出る(?)文化財その2 信濃国分寺②

今年初めて行われる「日本遺産 信州上田・塩田平検定」で出題されるかもしれない文化財の紹介シリーズその2です。
検定についての詳しいことはこちら→https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/81695.html
 今回は、「信濃国分寺」の後半。「牛頭天王祭文」「蘇民将来符頒布習俗」「八日堂縁日図」という3つの日本遺産構成文化財です。
3つとも「蘇民将来符」という厄除けのお守りに関係しています。蘇民将来符は、全国各地にあり、京都の八坂神社や弘前の岩木山神社などなど。でも八坂神社のは「粽」(ちまき 食べ物ではなく、笹の葉でできているものだそうです)ですし、岩木山神社は紙製で、使われている原材料はいろいろです。
わが信濃国分寺の蘇民将来符は、木製の六角柱。それぞれの面には「蘇民」「将来」「子孫」「人也」「大福」「長者」という文字が書かれています。
この蘇民将来符のいわれが書かれているのが「牛頭天王祭文」です。「祭文」の写しは全国で4通確認されていますが、室町時代の1480年に書写されたここの写しが最古だそうです。
牛頭天王は厄除けの神様で、京都の八坂神社の祭神です。神仏混合の神様で、「神道の神様たちは、様々な仏さまたちのそれぞれの化身である」とする「本地垂迹説」でいうと、薬師如来が本地仏とされています。薬師如来が牛頭天王の姿で姿を現したということです。信濃国分寺の本尊は薬師如来ですけど、関係はあるのでしょうか?
蘇民将来符と牛頭天王の関係なのですが、次のような物語があるのです。
牛頭天王が后を娶りに旅に出ます。その日の宿を借りたいと、金持ちの小丹長者に頼みますが断られてしまいました。次に貧しい蘇民将来の家に行って頼むと快く泊めてくれました。
実は、小丹長者の奥さんは蘇民将来の娘さんなのです。
そして、旅からの帰り道。牛頭天王は小丹長者一族を滅ぼしてしまうのですが、小丹長者の妻に「蘇民将来之子孫也」と書いた札を渡し、彼女だけが助かったのです。
それから、蘇民将来符が厄除けのお守りになったということです。
宿を貸さなかったために一族が滅ぼされてしまうというのは「あまりにも」という気もしますが、これが蘇民将来符のいわれなのです。信濃国分寺の六角柱に書かれている文字。「蘇民」「将来」「子孫」「人也」というのは、この話とつながっているのですね。
 信濃国分寺の蘇民将来符は、ドロヤナギから作られます。門前に家を構える「蘇民講」の人たちが木材から護符を切り出す作業を行い、住職が文字や魔よけの文様を書きます。蘇民講の人たちは、文字とともにそれぞれオリジナルの七福神の絵姿を描いた護符も作ります。
こうした習俗が国の選択無形民俗文化財になっています。
「八日堂縁日図」には、江戸時代の縁日の様子が描かれており、蘇民将来符が頒布される様子もその中にあります。
ところで、信濃国分寺のことを「八日堂」と言いますが、これは、毎月8日に「金光明最勝王経」という10巻にもなるお経を転読することから付いた名だそうです。このお経は、741年に全国に国分寺を建立するとの詔を出した聖武天皇が、それぞれの国分寺に安置するよう命じたものだということです。(F森)

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