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「信州上田・塩田平検定」に出る(?)文化財その3 生島足島神社①

今年初めて行われる「日本遺産 信州上田・塩田平検定」で出題されるかもしれない文化財の紹介シリーズその3です。
検定についての詳しいことはこちら→ https://www.city.ueda.nagano.jp/site/nihonisan/81695.html
 今回は、下之郷にある生島足島神社。ここの構成文化財は3つ。「本殿内殿」「摂社諏訪社本殿」「生島足島神社文書」です。このうち、今回は「本殿内殿」と「生島足島神社文書」についてご紹介します。
生島足島神社が創建された時期はわかっていないのですが、古いことは確かです。
10世紀に制定された「延喜式」という朝廷の公文書に「大社」という格付で名前が出てきます。当時すでに大きなお宮だったんですね。
祀られているのは「生島神」「足島神」。万物に生命力を与える神様と万物に満足を与える神様が一緒におられるということ。
1枚目の写真にあるここの本殿は、昭和16年(1941年)にできた比較的新しい建物です。しかし、その中に昔本殿だった「内殿」という建物があります。が、普通の人は見ることができません。聞くところによると、そこは土間になっているそうです。そして、その土=万物を育む「大地」がご神体。文化財の調査によると、室町時代の終わりに近い頃に建てられたと考えられています。
この本殿のある場所。周りが全部池なのです。「神池」という池に囲まれた「池心の宮園地」と呼ばれています。
 このお宮、日本遺産のテーマに出てくる「レイライン」で一躍有名になりました。夏至の朝日が東の鳥居から昇り、冬至の夕日が西の鳥居に沈む。この時の太陽が、烏帽子岳・信濃国分寺・生島足島神社・泥宮・女神岳を一直線に照らすのです。
 2番目の構成文化財は「生島足島神社文書」です。
この数がすごい。全部で94通もあります。その中で一番多いのが「武田信玄武将の起請文」。信玄の部下たちが「信玄様には絶対謀反しません」と血判を押して神前で誓った(誓わされた?)ものです。写真は、検定の問題が出題される「信州上田・塩田平の文化財ガイドブック」から拝借しましたが、室賀信俊という武将が書いたもの。
武将の奥方たちが戦に行っている夫の無事を祈願する文書もあります。
そして、武田信玄関係では、「願文」というものもあるのです。上杉謙信との戦いに勝利することを神様にお願いした文書。勝利したら神社に10年間お金を奉納することも書かれています。
真田家関係の文書もあります。真田昌幸がお宮の祭礼で使う柳の木を周辺の村で伐ることを許す「朱印状」や長男の真田信幸が神社に土地を寄付するという「寄進状」など。
こうした文書を見ていると、生島足島神社がこの頃たいへん多くの人たちに崇められていたことがわかります。(F森)

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