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塩田平の東南の端にあって、その向こうは旧丸子町という所に鎮座する富士嶽山。信仰の山です。
頂上に富士嶽神社の奥宮があるのですが、祀られているのはコノハナサクヤヒメノミコト(木花佐久夜毘売命)。天照大御神の孫ニニギノミコトの奥方です。海幸彦と山幸彦のお母さんでもあります。
彼女が祭神になる前、二人の連れと共にこの山に登ります。
連れの一人は「薬師」(くすし)。薬剤師さんではありません。お医者さんです。昔は医者のことを薬師と呼んでいました。
そしてもう一人は「乳母」。
当時の富士嶽山は火山。頂上まで登るのは容易ではありません。年老いた乳母は途中で座り込んでしまいました。薬師はもう少し上まで行ったのですが頂上までは行けなかった。コノハナサクヤヒメノミコトだけが上にたどり着きました。
この薬師の石造りの坐像が富士嶽山の登山口からちょっと上に登ったところに祀られています。石の上にある祠の中に安置されています。
そして乳母。ヒメが頂上に上がったのを見て「お富士や~」と大きく口を開けて絶叫したまま石になってしまいました。それが麓の富士嶽神社里宮の近くにある「大姥坐像」。
この二つの坐像は、元はもっと山の上の方にあったとのこと。薬師像が頂上近く、大姥坐像はもうちょっと下。二人が亡くなったとされる所でしょうか?
大姥坐像は、目と口を大きく開き、上半身をあらわにして髪の毛は垂れ、恐ろしい形相をしています。いかにも絶叫して石になったようにも見えます。が、実はこの像、できたのは室町時代の1466年です。日照りが続き、村人たちが山で雨乞いをしたところ雨が降り、喜んだ村人が恩返しでこの像を造ったとされています。でも、恩返しのためになぜこのような姿の像なのか?
謎は尽きませんが、三人の山登りの伝承が影響しているのでしょうか。
この大姥坐像、三途の川で亡者の衣服をはぎ取ってしまう「奪衣婆」(だつえば)ではないかとも考えられてきましたが、コノハナサクヤヒメノミコトの姉のイワナガヒメノミコト(石長比売命)ではないかとの説が有力になっているそうです。なぜ御神体のお姉さんがここに?
薬師坐像もそうですが、「?」の多いこの山の神様たち。神秘の山にふさわしいかも。(F森)