お電話でのお問い合わせ0268-38-8600
塩田平では5月の連休明けくらいから田植えが始まり、ため池から引かれた水の中に緑色の苗が並んでいる田んぼが日に日に増えてきています。
米どころの塩田平。でも米作りに欠かせない水は少なく、昔からため池に頼ってきました。年間降水量が全国平均の半分で、千曲川のような大きな川がない。普段から貯めておくしかないのです。
それでも雨が降らないときは「神頼み」。昭和になって、100万トンの水を貯められる沢山池ができたり、「依田川用水」といって、山を隔てた隣の丸子町を流れる大きな川の依田川から、二ツ木峠をトンネルを掘って水を引くことができて、雨乞いの回数は減りました。でも、平成になってから行ったこともあります。
そんな雨乞いですが、塩田平で代表的なのは、「百八手」や「千駄焚き」と呼ばれるもの。たくさんの松明をため池の周りなどで燃やし「アメフラセタンマイナ」と唱えるのです。たくさんのため池で一斉に行われますので、高台から見れば、塩田中が真っ赤に染まって壮観だったでしょう。当時は生活がかかった必死の祈りで、「壮観」なんてとても言っていられなかったですけどね。
また、別所温泉の「岳の幟」も雨乞い行事です。夫神岳の頂上にある「九頭竜神」にお参りし、たくさんの幟を長い竹竿に付けて山を降り、町を練り歩く。今では国の選択無形民俗文化財になっている行事です。
そしてこの雨乞い、これらだけではなく、各地区によっていろいろなやり方をしてきています。
今回紹介するのは、その一つで、仏像を川に投げ込んで祈るというもの。
2枚目の写真の左は、五加にある「絵堂の地蔵」
真ん中は、野倉の「赤地蔵」
右は、奈良尾の「大姥坐像」
仏像を川に入れて、仏様を怒らせて雨を降らせるというのが理由とも言われています。「大姥坐像」は奈良尾以外にも鈴子地区にもあって、同様のことが行われていたそうです。
普段は大切に祀られ、祈りをささげている仏像を川に入れるなんて、「なんということをするんだ」とも思いますが、日照りの時は人の力ではどうすることもできない、最後の最後、切羽詰まった気持ちの結果なのでしょう。
3枚目の写真は、「塩田平かるた」の絵札の1枚。野倉の赤地蔵を川に流して祈る場面が描かれています。祈る村人は、雨が降るよう一心に手を合わせ拝んでいますが、お地蔵さまに申し訳ないと思っているような表情にも見えます。実際にもきっとそうだったのでしょう。
今はこうしたことを行わなくても良くなったのでしょうが、昔の人は本当に生きるか死ぬかの瀬戸際にあったのだと、改めて考えさせられる雨乞いのやり方です。(F森)