お電話でのお問い合わせ0268-38-8600
標高694mの東山を中心に、別所線の神畑駅や寺下駅のある神畑地区から南東にかけて、700m前後のいくつもの峰が連なっている東山地区。下之郷の長野大学や塩田自然運動公園から標高差で200mくらい。ここには、遊歩道というか登山道というか、登山の気分も味わえるいくつものコースが設定されています。2年前には、1周7kmを何周もするトレイルランが行われました。
このコースを中心になって整備してくれているのが「ナチュラリスト
クラブ・うえだ」の皆さんたち。コース整備だけでなく、動植物など自然に関する情報発信も行っています。
11月初めのこの日、ここが主催して開催されたのが「紅葉の東山名所めぐり」。3回にわたってこの催しについてレポートします。
まずはスタート。塩田運動公園からちょっと坂を上がった「いにしえの丘公園」から山に入っていきます。
この東山、たくさんの古墳があります。昭和62年(1987年)の上田市の調査で44基が確認されていますが、80基以上あるといわれています。その中でも大きな「他田塚(おさだづか)古墳」や「塚穴原第1号古墳」の周りを整備したのがこの公園です。このあたりで標高が530m。古墳の周りの紅葉もきれいです。
今回の名所めぐりは、「明神岩」と「ばくち岩」に行くのをメインの目的にしているのですが、道筋の植物の解説もあり、生島足島神社の山宮や古墳なども見て回ります。
紅葉の盛りには1週間ほど早いかもしれませんが、歩きながら見る色とりどりの木々はきれいですね。
明神岩に行くコースをしばらく行くと、「戦争を伝える松」と書かれた説明板がありました。
その奥には、表面が削られた跡のある松が立っています。
太平洋戦争の末期、日本軍は松根や松脂を採取しガソリンと混合して戦闘機燃料にしようとしました。手が届く範囲の松幹に独特のノコギリで矢羽状に切りつけ、出てくる脂を下に置いた缶に貯め、工場で加工して供出したとのこと。ただ、実際にどの程度使用できたかは不明です。そんなことまでしなければいけなかったほど日本は追い込まれていたんですね。
この近くには、半地下の戦闘機工場の跡もあります。名古屋の三菱重工航空機製作所が空襲で全滅。疎開した機械工場が多い上田地域に戦闘機の工場を造ろうとしました。この東山地区には部品工場、仁古田・八木沢山麓にプロペラ工場、上田原と下之条の段丘崖に組立工場を造り、近くの上田飛行場を拡張して飛行機を飛び立たそうとしたのだそう。完成はしなかったのですが。
今も傷が残る松を見て少し感傷的になりながら、いよいよ明神岩に向けて坂を上っていきます。
明神岩のレポートは次号で。(F森)