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今年も第3回が行われる「日本遺産 信州上田塩田平検定」に出た問題を紹介するシリーズ。
6回目は、開創1200年の常楽寺と北向観音堂を取り上げます。北向観音堂の前立本尊の御開帳も行われていますので。
第1問は、常楽寺に関する問題。
常楽寺の本尊は、次のうちどれでしょうか。
1 如意輪観世音菩薩
2 妙観察智阿弥陀如来
3 不空成就如来
4 十一面観世音菩薩
正解は「2」の妙観察智阿弥陀如来(常楽寺のパンフレットでは妙観察智弥陀如来)です。
常楽寺本堂は、上田市の指定文化財になっていて、分厚い茅葺の屋根が特徴ですね。堂々とした風情があって、さすがに「天台宗の別格本山」。
その中にある本尊は、写真撮影禁止なので、お寺のパンフレットの写真を転載します。本堂の内陣の一番奥に安置されています。写真はダメなのですが、本堂に上がって、お姿を拝むことはできます。
普通の阿弥陀如来は、一枚の布を体に巻き付け、飾り物は何も付けていないのですが、この阿弥陀様は、宝冠をかぶり、胸に飾り物を付けています。ちょっと見大日如来像のような感じもします。全国的にも珍しいお姿なのだとか。
「妙観察智」とは、仏が持っている5つの智慧(五智)のうちの一つで、すべての物事をありのままに観察し、その本質を見抜く智慧のことだそうです。
上田市の「上田市の文化財」というウェブサイトを見ると、この仏像には享保17年(1732)の墨書があるということなので、江戸時代中期、300年ほど前に造られたもの。
本堂もこの頃に建てられたということで、なぜ同じ頃なのか、お堂の建設と本尊の造立がどんな契機で行われたか知りたいところです。
第2問は、北向観音堂の中にあるものから。
北向観音堂の善光寺地震絵馬は、次のうち何を描いたものでしょうか。
1 大地震の時、善光寺の本尊が人々を助けた伝説
2 善光寺地震の時、人々が北向観音に助けを求めた伝説
3 北向観音の厄除札のおかげで善光寺地震の災難を逃れた伝説
4 善光寺の御開帳に行ったおかげで善光寺地震の災難を逃れた伝説
正解は「3」です。
北向観音堂の中には、平惟茂将軍が鬼女紅葉を退治する様子を描いた絵馬や、野倉地区で発見された古銭を使って明治時代に作られた「古銭の龍」といった絵馬が奉納されていますが、この善光寺地震絵馬もお堂に入って右手に掲げられています。
善光寺地震は、江戸時代末期の弘化4年(1847)年に長野市の善光寺付近を震源としておこりました。震度は7くらいだったようで、昨年の能登半島地震と同じくらい。1万2千~3千人くらいの死者と4万軒を超える建物が全半壊したということです。ちなみに、上田でも被害が大きく、亡くなった人が200人を超えたそうです。
この絵馬の由来です。名古屋の市之助という人が仲間と善光寺まいりに来て、途中、彼が一人だけ北向観音にお詣りして善光寺に向かいます。ちょうど御開帳でにぎわっていた善光寺、地震で彼の仲間はみな亡くなってしまいます。一人生き残った市之助は、北向観音堂で受けたお札のおかげで助かったということで、その顛末を絵馬にして奉納したということです。
「来世往生」の善光寺と、「現世利益」の北向観音堂の両方お詣りする必要があるということも示すものですね。(F森)