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「塩田」は塩の田んぼなのか?

「塩田」という地名。文献に初めて出てくるのは、平安時代末期です。朝廷の大納言の藤原経房(ふじわらつねふさ)という人が付けていた日記「吉記」というものにあります。
 こ吉記の中に、建春門院という後白河法皇のお妃で、平清盛の妻の妹という方が創立したお寺の「最勝光院」の荘園として「塩田庄」が挙げられています。
荘園は、お米や布を献上する所。京都から遠く離れたところではありましたが、塩田が荘園に選ばれたのです。それだけ産物が豊富だったということ。
では、それより前はなんと呼ばれていたかというと、「安宗郷」(あそごう)でした。
大和朝廷は国造りのため、当時の先進地であった九州からたくさんの氏族を各地に送り込みました。塩田には阿蘇山の麓からやってきた阿蘇氏の一族。「安曽岡山」という山の名前で、それは今も残っています。
で、話を元に戻して、平安時代末期には「塩田」と呼ばれていたのですが、なぜ「塩」の「田」なのか?
確かにこの地域には「塩」と名の付く地区(小字)が結構あります。「塩吹」とか「塩ノ入」、そして保野と前山には「塩野」がそれぞれあります。
保野の塩吹にある貯水量11万トンの「塩吹池」(1枚目の写真です)は、江戸時代中頃に今のような規模になりましたが、晴天が2~3日続くと、地面に真っ白い塩が吹き出たそうです。
 舞田の塩ノ入には「塩之入神社」があります。2枚目の写真です。祭神は、諏訪神 建御名方命(たけみなかたのみこと)で、相当古くからあったお宮のようです。
そして、保野と前山には「塩野神社」があります。保野の塩野神社は、祭神が「塩垂津彦命」(しおたるつひこのみこと)という「塩」の名前の付いた神様です。全国のお宮でここだけだそうです。
3枚目の写真、前山には「塩野池」というため池があります。塩野神社のすぐ近くです。が、ここで塩吹池と同じように晴天が続くと塩が出るという話は聞いたことがありません。池もお宮も塩野という小字の地区にあるので名前がついたようです。
塩田の名が「塩に関係しているのではないか」という話もあるようです。「塩」に「田」なので、何か意味があるはずですからね。しかし、たしかなことは分かりません。
元長野県文化財保護協会の会長や県の文化財保護審議会長など歴任され、県の歴史の大家であった黒坂周平先生は、この説には疑問を呈されています。
 先生は前山出身で、塩田平文化財保護協会を立ち上げた方ですが、「新しなの地名考」という本の中でこう言っておられます。
「昔この地方は海で、塩のようなものが吹き出す田があったからだという話があるが、伝説の域を脱しない。信州には塩の付いた名前はたくさんある。「塩」は「しお」という音を大切にすべきで、ある種の地形とか地質とかにつけた名ではあるまいか」。
結局はっきりしたことはわからないのですが、しょうがないですかね。
でもはっきりしているのは、なぜその名になったかはわからないけど、800年以上も前から「塩田」と呼ばれていたということ。
「長野」や「松本」という地名が使われ始めたのは16世紀ごろからといいますから、いかに歴史があるかということ。誇りを持って「塩田」の名を大切にしていきたいですね。(F森)

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