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2月3日の節分の日。この日には、塩田を代表するお寺と神社で豆まきが行われました。
北向観音堂と生島足島神社です。
それぞれ、「追儺式」(ついなしき)という厄除けの祭事を行ってから豆まきをしますね。
上田市内では、上田城跡内にある眞田神社でもやりましたし、塩田では山田地区にある満願寺も豆まきをしたそうです。
今まで不思議に思ったことはなかったのですが、仏教のお寺と神道の神社で同じ節分の豆まき・追儺式が行われるのはなぜなのか? 疑問がわきました。
お寺や神社の祭事・行事で同じようなことが行われるのは、この豆まきくらいではないかと思います。
それはこの後で触れるとして、同じ時間に北向観音堂と生島足島神社で豆まきが行われるので、徒歩で行ける生島足島神社の方に参加。
明治初年(1868年)に造られた県宝の「歌舞伎舞台」の前には豆をまく人が上がる臨時の高台が組まれ、午後3時から「福は内 鬼は外」の掛け声とともに、落花生と菱餅がそれぞれ入った袋がまかれます。
一番後ろにいてカメラのシャッターを押していたのですが、ここまでいくつもの豆や餅の袋が飛んできて、いくつかゲットできました。ラッキー!
で、最初の疑問です。なぜ仏教のお寺でも神道の神社でも節分の豆まきが行われるのか?
ネットで調べてみました。
はじまりは、古代中国でおこなわれていた「追儺」という風習。その文化が飛鳥時代に日本に伝わり、宮中行事として行われるようになったそうです。10世紀に施行された朝廷の公文書「延喜式」にも宮廷の行事として出ているようです。
立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前の日(節分)は季節の終わりの日=節を分ける日になります。特に春は、昔は1年の始まりだったので重視されていて、春の節分は、今でいえば大晦日だったのですね。
その時に「除夜の鐘」ではなく、豆をまいて厄除する風習が根付いたのだとか。豆は「魔滅」であり、厄を払うことを願ってまいたのですね。
そして豆まきは、江戸時代には一般庶民も行うようになって、今につながっているということです。
だから、豆まきの風習は、当初は仏教だとか神道だとかの宗教の考えとは別のルーツで始められ、それがやがて日本の二大宗教でも取り入れられたということでしょうか。
そんなことは、今まで70年も生きてきて考えもしてきませんでした。まあ、それでいいんでしょうね。「厄を払う」ことは万人の願いなんですから。(F森)