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農民の苦しみから始まった 上本郷盆踊り

 上本郷地区の盆踊り。8月13日から3日間、武高国神社という上本郷の地域の神様(産土神)のお宮で行われました。御多分に漏れず、コロナで3年間中止となり、昨年から復活しました。
前は4日間だったのですが、昨年からは3日間。でも、塩田の中で、自治会単位で行われる盆踊りはだいたい1日限りなので、一番長くやる方です。
長くやるということだけでなく、ここの盆踊りが始まったのは、一番かどうかは分かりませんが、塩田の中で相当早い方です。
昭和3年(1928年)。百年近く前になります。よくこんな頃に盆踊りなんて始めたよなあ、というのが、それを知ったときの感想です。というのは、この頃、日本でも、世界でも景気が本当に悪かったのです。次の年にはニューヨークの株価大暴落に端を発した世界大恐慌が始まり、日本の農村でも、当時多くの農家がやっていた養蚕が大打撃。上本郷でも「不況対策委員会」が自治会内にできるなど、たいへんだったようです。
そんな中で盆踊り? と思いますが、当時も周りの地域からはたいへんに批判されたようです。
 なぜ、やったのか。このことについて、中塩田村の中塩田青年会が発行していた「中塩田時報」という新聞に盆踊りの主催者が投稿しています。
「暗のごとき農村、意気影もなき農民、ただ黙々として土と苦闘しても恵まれざる、否、生計さえも立ちえない今日、我々の手足は、体は、精神は綿のごとく疲れても、それをすら緩和することのできない農村、我々はこれを憂えずにいられるだろうか、決して我々は楽を欲するのではない、自己の一杯の苦闘の疲れに対して、精神の疲れに対して欲するものがあるのである。ここにおいて、我青年は、盆において祖先を崇拝するとともに、我々は今日あることを感謝し、一切の苦労を忘れ、また不平をも打ち捨てその心で祖先の霊を迎えたいのだ」
今のように、「楽しいからやる」というのではなかったのです。
その後、戦争前後など一時中断したこともあったのですが、今は公民館の分館役員が中心となって続けられてきています。
 平成16年(2004年)には「盆踊り保存会」ができ、踊りの先導を始め、分館と一緒になって盆踊りを盛り立てています。
踊りの曲は13くらいあります。定番の木曽節に東京音頭、炭坑節、上田市ですから上田わっしょいといったところから、満月音頭、花の盆踊り、やっちょこ節、ドラえもん音頭やおよげたいやきくん、交通安全音頭なんてのもあります。平成に元号が変わってできた平成音頭もあれば、令和になったので令和音頭も。
農民の苦しみをなんとかしたいというところから始まった上本郷の盆踊り。そして今、お盆の夜のひと時、小さい子どもから年配の方まで、多くの人でにぎわうのがいいですね。踊りはぎこちなくても、みんなで輪になって踊ればそれでいい!! (F森)

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