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今年も第3回が行われる「日本遺産 信州上田塩田平検定」に出た問題を紹介するシリーズ。
12月13日(土)の検定、いよいよ今週末です。このシリーズも最終回。
東前山地区にある「前山寺三重塔」に関する問題です。
第1問。
前山寺の三重塔の建立は、次のうちどの時代と考えられているでしょうか。
1 平安時代
2 鎌倉時代
3 室町時代
4 江戸時代
答えは、3の室町時代です。
この三重塔を造ったのは、福沢氏という一族の人だと考えられています。鎌倉時代に塩田を治めていた塩田北条氏が幕府滅亡とともに亡くなり、代わって領主になったのが現在の坂城を中心に治めていた村上氏ですが、福沢氏はその部下の武将です。部下と言ってもかなり力のあった一族のようで、塩田地域は、200年以上の室町時代のほとんどは彼らの支配でした。
前山寺のすぐ横にあった塩田城は、福沢氏の居城と考えられています。
その福沢氏、室町時代も終わりに近くなってきて三重塔を建て始めました。16世紀の半ば頃でしょうか。そして、もうすぐ完成というときに、甲斐の国の武田信玄が信濃に侵攻してきて、諏訪や佐久、上田も次々と手に入れていきます。福沢氏の塩田城も1553年に攻略されてしまうのですが、その頃には、塩田も米作りどころではなく、農民から貢がれる年貢は入らず、自分の身も危険になってくれば、「三重塔を造ってなんかはいられない」ということなのか、結局塔は完成せずに今に至っています。「未完成の完成塔」と呼ばれ、むしろ未完成の方が美しいと言われますが、当時はそれどころではなかったのでしょう。
ということで、建設の時期は室町時代でした。
では、第2問。
前山寺の三重塔の初層と二層に掲げられた額は、次のうち何を表しているでしょうか。
1 四天王(してんのう)
2 金剛界五仏(こんごうかいごぶつ)
3 六地蔵尊(ろくじぞうそん)
4 十六羅漢(じゅうろくらかん)
答えは、2の金剛界五仏です。
金剛界五仏は、大日如来を中心にして、ほかの4人(?)の如来様を含めた「五仏」を言います。
上田小県地域には、三重塔が4つあり、前山寺のほか、安楽寺、信濃国分寺、青木村の大法寺にあります。
前山寺以外の三重塔の中には「大日如来」の坐像が安置されています。長野県のほかに地域の三重塔も同様です。前山寺だけ例外。
その代わりなのでしょうか、2枚目の写真をご覧いただくと、塔の2層目の屋根の下に「大日如来」と書かれた額がかかっています。そして、1層目の屋根の下には「釈迦如来」の額。これは本堂の方から階段を上がってきた北面から見たものです。ほかの東面、南免、西面の1層目には「阿閦如来」(あしゅくにょらい)、「寶生如来」(ほうしょうにょらい)、「弥陀如来」(みだにょらい)の額があります。
本来なら塔の中に大日如来始め五仏の像を安置したかったけど、できなかったので額にしたのか、「未完成」の塔との関係は分かりませんが、この塔にもちゃんと大日如来が祀られているのはほかの三重塔と同じですね。(F森)