中塩田の中野に「和手」という地区があります。西側は舞田との境、南には別所線の線路が東西に走っています。
この別所線の北側は、住宅が立ち並んでいます。塩田でも中心地の中野。新しい家も次々と建てられています。
一方、別所線の南側には、区画整理されて四角の田んぼが独鈷山系の山裾近くまで拡がっています。典型的な塩田の田園風景ですね。
そんな住宅地と田園地帯の境にある和手は、塩田でも最も早くから稲作が始まった地域の一つです。
昭和50年代は、塩田でも水田の圃場整備事業が大規模に行われましたが、工事の前には埋蔵文化財の調査が必要になります。
和手でも、昭和57年(1982年)に発掘調査が行われました。
その結果、弥生時代から奈良・平安時代の住居跡が38も見つかりました。
弥生時代の住居は21で、土器や稲穂の刈り取りを行う石包丁なども発見。田んぼに水を引いた用水の跡もあり、この辺りは、追開沢川の自然堤防の後背地に造られた水田地帯だったことがわかりました。
そんな和手地区ですが、中野前池の西側、別所線の踏切の北側にお地蔵さんが祀られています。延命地蔵尊です。高さは1.1メートル。胴体は、普通のお地蔵さんとは違い、直方体です。下の台座には「念仏」「中間」「廿人」と文字が刻まれていて、人々がこの像の前で念仏を唱えるために建立されたのかもしれません。
建立されたのは享保2年(1717年)。
江戸時代の中野は、田んぼはたくさんあるのですが、米を作るための水が少なく、また、田んぼに入れる肥料用の下草や燃料にするための薪を遠くの山まで取りに行かなければならなくて、生活は結構厳しかったようです。幕末の上田藩士犬飼情兵衛の調査によると、全戸数92戸のうち生活に難渋している家が半分もありました。このため、藩から米を支給してもらったりして支援を受けていました。
延命地蔵がどんな理由で建立されたのかはわかりませんが、人々の祈りの対象となっていたことは確かですね。このお地蔵さんの周りには、ほかにも地蔵像が3体、大日如来像が1体、小さな五輪塔が2基あって、まさに「祈りの場」といった感じです。
和手でもう一つ紹介したいのは道祖神です。
この道祖神は、自然石のままで、文字も何も彫られていません。白っぽい線が石をぐるっと回っているのが印象的です。この横には、高さ15メートルもある榎の大木が昔あって、藤蔓がからみつき、春には紫の花がたくさん咲いたそうです。今は伐採された枯木の根元だけが残されていますが。
道祖神碑の回りには小石が敷き詰められ、昭和50年頃造られた上屋もあって、地区の方々に大切にされていることが分かります。和手の集落の守り神。印象的な形もあって、この前の道を通ると、ついお参りしてしまいます。(F森)













