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塩田の小中学校の校歌に出てくる山々 後編

塩田の小中学校の校歌で歌われている「山」を探る回の後編です。
東塩田小学校塩田西小学校の番です。
 東塩田小学校の校歌に出てくる山は「安曽岡山」。歌の初っ端から出てきます。「安曽岡山に朝日さし 尾根の河原に夕日照る」
東塩田小学校の子どもたちは、昔からこの山に学校登山で登っていて、地域のシンボルの山なのでしょう。ふもとには「安曽神社」があり、大和王朝の頃、九州の阿蘇地方から豪族が来てこの地を治めたので「安宗の郷」と呼ばれましたが、その名残ともいえる名前が今も神社や山の名前についています。
安曽神社の奥から山に登っていくと、途中に「吉沢城跡」があります。見晴らしの良いところで、鎌倉時代に造られ、室町から戦国時代にかけて吉沢氏が城主。一度武田信玄軍が攻めてきた時、ふもとにある「雄鶏岩」が「コケコッコー」と雷が鳴るような大きな声で鳴いたので武田勢が驚いて退却したといいます。その「雄鶏岩」と近くにある「雌鶏岩」が産んだという「鶏岩の卵」が安曽神社にある「石上布留社」から平成20年に見つかりました。
安曽岡山は、標高は1090mと、1266mの独鈷山より低いのですが、塩田平から見ると手前にあるので、独鈷山より高く見えます。そして、東塩田からはこの山があるので、塩田を代表するという独鈷山は見えないんですね。だから、東塩田を代表する山と言えば、安曽岡山と「富士嶽山」ということでしょう。
2枚目の写真は、塩田の東西の真ん中辺にある甲田池から撮ったもの。富士嶽山と安曽岡山、独鈷山の位置関係が分かるようにしてみました。
ところで、東塩田小学校の校歌を作詞したのは峯村国一さんです。八十二銀行の取締役にして、太平洋戦争後は東塩田村の村長にもなった歌人です。生島足島神社や泥宮などに彼の歌碑があります。
 次は塩田西小学校です。ここは「独鈷山」「高く低い山が手をつないで立っている 独鈷山の姿」。ここも東塩田小学校と同様、一番最初にこのフレーズが出てきます。作詞したのは黒坂正文さん。東前山の出身のコカリナ奏者ですね。昨年「小説 独鈷山」という本を出版し、それを映画化しようという動きが今本格化しています。
塩田西小学校は、30年前に「西塩田小学校」と「別所小学校」が合併して誕生した小学校です。校舎から南を見ると真正面に独鈷山が望めます。西塩田の人たちには、まさに地域を代表する山ですね。西塩田小学校の時の校歌も、やっぱり「独鈷山」だったのだそうです。
東前山には「前山寺」と「龍光院」、西前山には「中禅寺」。奥に独鈷山をかかえる塩田を代表する名刹があって、独鈷山系にまつわるこれらのお寺に関わる言い伝えも残されています。見た目だけでなく、精神的な面でも、この山は西塩田の人たちにとっては重要な山なのでしょうね。
一方で、別所から独鈷山は見えません。女神岳が間にあるからです。で、別所小学校の校歌に出てくる山は「男神岳(夫神岳)」と「女神岳」だということです。写真の左が女神岳、左が夫神岳。
 別所の雨乞いの祭り「岳の幟」の出発点である夫神岳。頂上には「九頭龍神」と「伊弉諾尊」(イザナギノミコト)の祠があります。一方、女神岳の祭神は、明治時代に野倉村が県に出した報告書では「伊邪那美命」(イザナミノミコト)。この二つの山は夫婦の神様が祀られているのです。(F森)

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