ブログ

別所「祇園祭」と「岳の幟」の関係とは?

別所温泉の祇園祭と岳の幟。今年は、7月11日と12日の土日に行われました。
岳の幟は、国の選択無形民俗文化財に指定されて広く知られている行事です。
室町時代の1504年、ひどい日照りが続いたため、夫神岳の神様に雨乞い祈願をしたところ雨が降ったので、そのお礼として、各家で織った布を幟にして感謝と祈願をしたのが始まりとされています。したがって、今年で523年目ということになります。
 これと祇園祭がどういう関係にあるかというのが今回のテーマです。
祇園祭は、別所以外でも、塩田のいくつかの神社で毎年行われています。
祇園祭は、京都の八坂神社から始まったものです。この神社、明治元年(1868年)に「祇園神社」から名前が変わりました。この年に政府から「神仏判然令」が出され、神社から仏教的なものを排除することになりました。祇園神社の祭神「牛頭天王」は神仏習合の神様なので、祭神も「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)にして、お宮の名前も八坂神社に。
ここの祇園祭は1か月も続くものですが、神様を御輿に乗せて御旅所に移し、祭りの最後に元に戻っていただくというのが基本の神事です。
この形式と同じなのが、塩田では保野の塩野神社前山の塩野神社別所です。3カ所とも江戸時代初めまでは「市」があって、「市神」も祀られていました。最初の写真は、別所の市神のあった所。
 別所では、江戸時代には祇園祭が始まっていたようで、元々は、岳の幟とは別物でした。今はたくさんの幟とともに町内を練り歩いて何か所かで奉納される「ささら踊り」と「三頭獅子」も祇園祭に奉納されるものです。ちなみにこの二つは、天保2年(1831年)に上田藩の許可を受けて始まったようです。
そして、約90年前の昭和9年、三頭獅子の獅子頭を新調したのを契機に、期日が近かった二つのお祭りを一緒にやるようになりました。
お祭りの流れを見てみると、最初の日、別所神社から牛頭天王(素戔嗚尊)が市神に設けられた仮宮に遷ります。2枚目の写真です。「天王祭」と書かれた所の中に神様が祀られています。
次の日、岳の幟の始まりです。朝早く夫神岳の頂上で神事が行われ、たくさんの幟が山を下りて、別所神社の総代やささら踊り、三頭獅子のみなさんと合流して町内を巡ります。そして、石湯や大湯、あいそめの湯などでささら踊りと三頭獅子舞が奉納され、別所神社に向かいます。
これに合わせるかのように、仮宮から神様が御輿に乗せられお宮に戻って、神事が行われます。
 最後に、境内でささら踊りと三頭獅子舞が奉納。
別々にお祭りをやっていた時は、幟の行列にささら踊り・三頭獅子は付かなかったんでしょう。今のようなやり方の方が華やかで、まさに「お祭り」っていう感じがありますね。
無形民俗文化財は、人によって行われるもの。継承していくには人材を確保していくなどの難しさもありますが、みんなに知ってもらって、たくさんの人たちに現地に来ていただきたいものです。(F森)

関連記事

  1. 三度も盗まれ戻った観音様 日本遺産認定2周年記念で公開

  2. 塩田の古墳② ホタテ貝の形をした古墳

  3. 塩田平のため池のすべてが分かる本が出ました

  4. 「信州上田・塩田平検定」に出る(?)文化財その11 北向観音堂

  5. 「信州上田・塩田平検定」に出る(?)文化財その9 安楽寺

  6. 重要文化財を守る 中禅寺薬師堂の屋根葺き替え

  7. 上田市街地を一望! 冬の東山を歩く

  8. チェーンソーで彫った釈迦如来 中禅寺

最近のブログ記事
PAGE TOP