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「地震 カミナリ 火事 オヤジ」。今は死語になったとも言える言葉ですが、地震はやっぱり恐ろしい。関東大震災や阪神淡路大震災、東日本大震災など、日本では昔から大地震によって大きな被害がありました。
長野県でも、江戸時代の終わりごろの1847年(弘化4年)に善光寺地震が起こりました。死者が1万2千人以上、家屋全半壊4万軒以上という被害。善光寺のおひざ元の長野市はもとより、塩田でも被害が出て、余震が1か月以上続いたとのこと。
塩田の人たちも驚いたことでしょう。塩田中の人たちがなんとかしなくてはと、今の茨城県の常陸の国にある鹿島神宮の分霊をお呼びしてタケミカヅチノミコトを上本郷の武高国神社にお祀りしました。
その際、鹿島神宮にある「要石」を擬して地震鎮圧の大石を社殿の横に据えました。
鹿島神宮の要石は、この地域に地震が多かったことから、タケミカヅチノミコトが打ち込んだと言われています。直径は40cm、高さは15cm。利根川をはさんで鹿島神宮の南西にある香取神宮にも要石があり、鹿島神宮はナマズの頭を、香取神宮のはしっぽを抑えているとか。
武高国神社の要石は、高さ1.2mで、安山岩でできています。
周りには石の柵がめぐらされていますが、これは石が設置されてから50年ほどたったころの明治26年に、塩田22村の寄進を得て造ったものです。柵には、下之郷、五加、手塚など村々の名前が彫られています。
2枚目の写真の要石の左手の石碑は、そのときのことを記録したもの。要石を置いた理由などだんだん忘れられてきたので、記録を残したのだそう。
でも、この石碑の文字もだんだん薄くなってきました。上本郷の公民館には、この拓本がありますが、広くこのことを知ってもらおうと、3年前、塩田平文化財保護協会で解説板を設置しました。要石の後ろに立っているものです。
貴重な文化財、こうした解説板を設けることで、地域の人々、外からお見えになる方々によく知ってもらえるようになればいいなあと思います。(F森)