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弘法大師が開いたともいわれ、大師が開いた真言宗の智山派に属している前山寺。かつては「信濃四談林」という真言宗の四つの勉強所の一つで、江戸時代には末寺が40余りもあったということで、格式が高いお寺です。
そして、ここが有名なのは、グルメの人たちには「くるみおはぎ」なんでしょうが、文化財好きの者にとっては、何といっても三重塔。
「未完成の完成塔」と呼ばれていますが、「未完成」というのは、普通の塔は、縁という回廊や手すり(勾欄)、扉と窓がありますが、この塔の2層と3層にはそれがありません。回廊を作るための貫という角材はあるので、作る予定ではあったようです。でも、こうしたものがなくかえってすっきりして良いということで、「未完成の完成塔」と呼ばれています。
で、「なぜ未完成なのか」という疑問は前々からあったのですが、それが「いつ建てられたのか」というもう一つの疑問と密接に関連していることが分かりました。
塩田で毎月1回行われている講演会。「塩田の歴史・文化を語る集い」という団体が主催しているものです。そこでこの5月に行われた講演会で、前の上田市立博物館長の滝澤正幸さんがこのことを明らかにしています。
三重塔は、「逓減率」というものが建築時期を判断する指標の一つで、要は1層(1階の建物)と3階部分の大きさの比率(3階÷1階)が、時代が新しくなるほど高くなるということで、1階と3階の大きさがあまり変らなくなる(ズンドウということ)のだそうです。
前山寺の三重塔はこれが0.82ということで、上と下の大きさの差はあまりないように感じます。これを、鎌倉時代終わりに造られたことがはっきりしている安楽寺三重塔の写真と見比べていただければ一目瞭然です。1333年の鎌倉幕府滅亡の年に完成した青木村大法寺や室町時代中期の建築と言われている信濃国分寺の塔よりズンドウで、室町時代末期と考えられるようです。戦国の世も終わりに近くなる頃ですね。昔は、「室町時代初期」と言われていたので、それよりは時代がだいぶあとになります。
では、なぜその時期に造られ、未完成のままなのか、これは次回に説明します。(F森)