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信濃国分寺を紹介する3回目です。
今回は、本堂を中心とした面白いエピソード。本堂が建てられたのは、江戸時代も最末期の1860年。井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」のあった年です。
お寺の本堂の正面は、普通はご本尊が祀られています。ここのご本尊は薬師如来。お堂の奥にはもちろんあるのですが、見えません。長野市の善光寺と同じく、普段は拝むことができないのです。
そして、これも善光寺と同じく御開帳でその姿が現れます。善光寺の御開帳は6年に1度。7年目ごととも言いますが、信濃国分寺は、実に12年に1度なのです。この前行われたのは2013年(平成25年)、8年前です。善光寺は来年御開帳が行われるということなのですが、ここでの次は4年後ということになります。
御開帳は、本尊と回向柱を綱で結んで、その柱を参拝する人たちが触ってご利益を得ようとします。1枚目の本堂の写真の手前にあるのが、前回の御開帳の際の回向柱です。
そして、このお寺に祀られている方がもう一人おられます。その名を「元三大師」(がんざんだいし)。平安時代の天台宗の高僧です。名前は「良源」といい、「比叡山中興の祖」とも言われている偉い方です。この方は「おみくじの創設者」とも言われているそうです。「中興の祖」の一面なのでしょうか?
で、この方の姿が観音堂で見ることができます。やせこけた角のある姿。ん!これが高僧?というのが第一印象。本堂にある解説文を読むと、元三大師は、疫病が流行ったため、疫病神を退治するために祈ったところ、姿がだんだん鬼になっていったそうです。そこで「角大師」とも呼ばれているとのこと。鬼になったのは疫病神を退散させるためでしょうが、きっとそれが功を奏して疫病が終息したようで、その鬼の姿を写し取ったものが魔よけの札として全国各地の天台宗のお寺で頒布されているようです。
このお寺、ほかにも「百体観音像」や「延命地蔵像」などがいくつのもお堂に祀られています。3回にわたってご紹介してもしきれない魅力。塩田ではないのですが、ガイドのしがいのあるお寺なのであります。(F森)