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安曽神社。石神・鈴子・柳沢の3つの自治会の産土神(うぶすながみ)です。その安曽神社の奥にそびえるのが、お宮の名前をとったのか「安曽岡山」という山です。大和朝廷の時代に九州の阿蘇から塩田を治めに派遣された人たちがいて、そのため塩田は「安宗の郷」(あそのごう)と呼ばれていましたが、その名前からきているのかもしれません。
そんな安曽岡山。標高は1085m。その奥には「高ボッチ」という山があって、こちらは安曽岡山よりちょっと高い1104mあります。
7月中旬のこの日、塩田野パノラマラインの東の入り口に近い登山口から登ってみました。東塩田小学校の子どもたちも登山するということで、気楽に登れるのかなあと高をくくっていたら、油断大敵。しょっぱなから急登です。直登している感じで、ロープがあるところはそれに頼ったり、木や岩をつかんで必死に登ります。
40分ほどで「吉沢城跡」に着きます。室町時代から戦国時代まで塩田を実質的に治めていた福沢氏の武将であった吉沢氏が城主。こんな急峻な所に城を構える方はたいへんだと思いますが、攻められても守りやすかったんですかね。
ここは展望がすばらしい。戦国時代、敵がいろんな道を来てもすぐわかります。標高は781mですから、下との標高差は約200m。西塩田から東塩田まで一望できます。
そして、ここからがさらに急登。あまり登山する人もいないのか、登山道もちょっと荒れていて、倒木もあり、ロープなどはありません。必死に登ってやっと頂上。吉沢城跡から2時間近くかかったでしょうか。「ああ、ここがいつも家から見ている安曽岡山の頂上か」と感慨深いのではありますが、周りに木が生い茂っていて展望はききません。吉沢城跡からは見えたわが家も、どこにあるのやら。
でも、そこに登頂記念の記録が残されていて、東塩田小学校の子どもたちの名前も。すごい!たくましい!これからも登ってほしい、と思いながらも、登山ルートを整備しないといけないとも感じました。
塩田まちづくり協議会でも、弘法山の整備に続き、こうした身近な山の登山道整備をしていくように検討をしているところです。急峻だけれど安全に登れる山にしたい。家に帰って安曽岡山を見て、改めて思いました。(F森)