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この年末年始、北向観音堂は、二年詣りや初詣で大賑わいでした。
この時期だけでなく、年間を通じて多くの方がお参りに来るのですが、これは江戸時代でもそうだったようです。
北向観音堂の中に1枚の絵馬が飾ってあります。江戸時代、尾張の市之助という人が仲間と善光寺の御開帳に行くのですが、彼だけその前に北向観音にお参りし、厄除けの御札を持って合流します。そのあと、善光寺大地震があって、多くの人が亡くなりました。市之助の仲間も皆犠牲になる中で、彼だけがお札のおかげで助かった。北向観音の霊験あらたかというわけですね。その様子を絵馬にしたのだそうです。
北向観音にお参りするのは、上田の殿さまだって同じです。前回もお話した「北向観世音道」、あるいは「別所街道」と呼ばれた道を通っておいでになりました。上田から別所温泉まで、十数キロはあるでしょう。殿さまだから歩くということはなかったのでしょうが、お供の人たちも含め、途中で休憩します。その場所に指定されたのが、保野にある「林法院」という浄土宗のお寺でした。当時の別所街道は、今の県道よりちょっと南側を通っていて、今も保野の人たちの生活道路になっています。その通り沿いに林法院はあります。
で、その林法院、本堂は「北向き」なのです。道路の南側にあるので、通りから見てお堂の正面が見えるのです。だから。殿さまはこの寺を指名したのか? と思ったら、北向きになったのは昭和になってからのことだそうです。
まあ、それはともかく、やはり北向きのお堂は全国的にも珍しいのです。それを二つも塩田でお参りすることができる。そう、林法院は「塩田平の札所めぐり」の札所の一つなんです。
ここに行けば、「子育て地蔵」も歓迎してくれますよ。(F森)