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北向観音堂といえば、別所温泉でも人気のスポット。厄除けの御利益を求めて、二年詣りや節分などの時は、参道まで人で埋め尽くされます。
その昔、江戸時代でもそうだったようです。こういったものは身分に関係なく、上田の殿さまから一般庶民まで多くの人がお参りに訪れました。
上田藩の初代藩主は、真田幸村公の兄 信之公ですが、1622年に松代に移った後藩主になったのが仙石氏です。その2代目の政俊公は温泉も大好きで、今の「大湯」に通ったのだそうです。
今、上田から別所温泉に行くには、別所線「神畑」の所から、「別所街道」と呼ばれる県道177号線を行くのですが、江戸時代はちょっと違ったようです。
当時は「北向観世音道」とか「別所街道」「別所往来」といった名前で、ルートも少し違っていました。今は道路改良が進んで、真っすぐな道になっていますが、当時は集落の中を通る結構曲がった道だったようです。そうした道は、今も生活道路として使われているところが多いですけどね。
例えば、別所温泉の駅から北向観音に真っすぐ行く道路は、明治時代になってできたので、当時は「将軍塚」と呼ばれる所から右に行き、常楽寺の方に向かい、途中から左に折れて北向観音に向かったのだとか。ただ、仙石政俊公が大湯に行くには、今の別所温泉駅から左に行く、現在もある道を行ったのでしょうけど。
その将軍塚の道の分岐点には、当時の北向観世音道がどこを通ったか示す説明板が設置されています。道の歴史なども書かれています。写真の2枚目の真ん中にある白いのがそれなのですが、左の道は北向観音堂に真っすぐ行く道、右は常楽寺に向かう道です。
3枚目の写真は、その説明板にある地図です。昔と今の道が両方書かれていて、比較できるようになっています。
こうした説明板、塩田ではほかに4カ所設置されていて、このブログの「後編」では、仙石の殿様に関係するお話をしたいと思います。(F森)