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武田信玄が塩田に残したもの① お祭り・祭神・三重塔

 武田信玄と言えば、戦国武将最強という人もいるくらいで、織田信長に勝るとも劣らない強さを誇った甲斐の国の戦国大名ですね。徳川家康が大敗した三方ヶ原の戦いや5次に及んだ上杉謙信との川中島の戦いなど良く知られています。
甲斐の隣にある信濃の国は、ほとんどが信玄の支配下になりました。上伊那、下伊那、諏訪、佐久、松本、そして上田も。
上田は、当時、坂城の村上義清が勢力を持っていました。塩田城もその配下の福沢氏が長いこと城主でした。信玄は、村上義清には砥石城の戦いや上田原の戦いで敗れるのですが、最後は義清が上杉謙信の下に逃れます。塩田城も1553年に落とされています。
そんな信玄は、この塩田にも有形無形の遺産を残しました。今回は、2回にわたりそれを紹介します。
まずは、保野の塩野神社で連綿と続いている「祇園祭」です。毎年7月に行われています。
祇園祭といえば、京都の八坂神社のお祭りが有名、というかここから始まったものです。祭神の祇園天王(ぎおんてんのう)を御旅所に遷座し、その後また元のお宮に戻る。これと同じ行事が塩野神社でも行われます。祇園天王をお神輿に乗せてお宮を出て、仮宮の市神で一泊する。次の日に帰るというもの。
このお宮、祭神は塩垂津彦命(しおたるつひこのみこと)で、お祀りしているのは全国でここだけ。だったのですが、永禄年間(1558~1569年)に武田信玄の命で祇園天王を合祀するようになったのです。そして祇園祭が始まり、もう450年以上も続いています。市の無形文化財になっています。
 次は、十人の皇子神社
境内に大きなケヤキの木があるお宮です。
十人地区の神様(産土神 うぶすながみ)で、いつできたかはわかりませんが、相当古い神社です。
祀られている神様は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。天照大神の弟で、暴れん坊だったため、天照大神が天岩戸に身を隠した逸話の神様。その後、出雲の国で八つの頭を持つヤマタノオロチを退治してヒーローになりました。
その素戔嗚尊が祭神だったのですが、武田信玄の命令で、諏訪大社の神様である建御名方命(タケミナカタノミコト)を一緒に祀ることになりました。
信玄は、この諏訪の神様が好きなようで、この話は次回します。
今までの神様のほかに、別の神様を拝めと命令された十人の人たちの思いはどうだったんでしょう?
最後は、武田信玄が造ったわけではないのですが、信玄のおかげで、今は「未完成の完成塔」と称されるようになった「前山寺の三重塔」です。
造ったのは、室町時代に200年以上塩田を治めていた福沢氏の一族と考えられています。武田信玄に落とされた「塩田城」の城主。
 福沢氏、三重塔を造り始めたのですが、信玄が攻めてきて、農民たちは米も作れず、年貢は入ってこない、信玄に攻められて、身の安全もわからなくなってきた中で、三重塔を造っているどころではないと、途中でやめてしまったというのが最近の通説になっています。
信玄の侵攻がもっと遅ければ、今と違った姿の三重塔ができたかもしれませんが、未完成の廊下や手すりがないおかげで「かえってスッキリしている」と言われる三重塔が今ここにあるのです。信玄公に感謝していいのか、恨んでいいのか?(F森)

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