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最初の写真。「水竜様」という名前があります。
縄で作った竜ですね。
塩田では、これで雨乞いをしてきたのです。
塩田がある上田市は雨が少なく、年間降水量は約900mm。全国平均の半分ほどなのです。
そして塩田は、千曲川のような大きな川が近くにありません。
一方、この地域は米どころで、江戸時代に、上田藩5万石のうち塩田で3万石稼ぎました。
米作りにはもちろん水が不可欠。その水が少ないのを補ってくれるのがため池です。江戸時代には200とも300とも言われた池の数。今はずいぶん減ってしまいましたが、小さいのも含めると100近くはあるそうです。農家組合などが管理している池が41あって、貯められる水の量は300万トン。1軒のお宅で年間使う水の量が300トンと言われているので、1軒で1万年使えるくらいの水量があるということです。
でも、雨が降らないとため池に水が貯められない。そんなことがたびたびあったのです。
そうなれば、もう神頼み。
塩田では、ため池の周りでたくさんの松明を燃やす「百八手」や、お地蔵様の仏像を川に投げ込んで祈る雨乞いが行われてきました。
そしてもう一つがこの水竜様にお願いするもの。
これは、独鈷山のふもとの高台にあるお寺、前山寺や中禅寺で行われてきました。
中禅寺では、龍王山という山に住職などが登り、山頂に水竜様はじめ祈祷に使うものを並べて、雨が降るまで祈るのだそうです。
また、お寺の隣にある塩野神社で、「龍王社」という石(神様が降りてくる盤座(いわくら)と言います)の前でも祈ることもあります。
2月下旬のある日、中禅寺の住職がここで雨乞いをしていました。
水が入った大きな皿に水竜様を浮かべ、祈祷をします。そして水竜様の頭が向いた方向から雨が降るのだとか。
田植えまで数か月あるこんな寒い時期に「なんで雨乞いなんだ!」。
実は、あるテレビ局の取材で雨乞いを再現したのです。 この番組で取り上げるのが、初代上田藩主の真田信之公です。豊臣側についた父の昌幸、弟の幸村(信繁)と敵味方になり、それでも徳川家康から沼田藩と上田藩を任され、松代藩に移って90歳を超える人生を送った人。戦国時代から江戸時代をどう生き抜いたかがテーマのようです。
彼が上田藩主の頃、天候が不順で、そんなことにも苦しんだようです。そして、大事な米をたくさん作るため、穀倉地帯の塩田に大きなため池をいくつも造りました。
番組では、信之公だけでなく、そうした水不足に農民たちがどう対処したのかも取り上げたかったのでしょう。
ロケのカメラの先には、祈りをささげる住職と、後ろに控えているのは、祈祷に合わせて「雨 降らせ たんまいな」と唱える村の人々。
祈祷をしなくても水不足にならない方が良いのはもちろんですが、神頼みをしなくてはならない農民の切なる願いがよく分かる雨乞いの再現でした。(F森)