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別所の温泉や北向観音は、今も地元の人や観光客でにぎわっていますが、江戸時代も人気だったようで、上田城下からも、もちろん徒歩で(駕籠や馬という人もいたでしょうけど)大勢の人が訪れていました。
では、上田城下からはどこを通ってきたのかということですが、「北向観世音道」という街道を通ったそうです。この道、「別所街道」「別所往来」「別所往還」とも言われました。その後、道路改良で経路も変わってはいますが、今も「別所街道」と名前の付いた県道鹿教湯別所上田線が通っています。江戸時代はどういう経路だったかというと、千曲川を舟や舟を並べた「舟橋」を渡り、中之条地区、神畑地区を抜けて塩田に入ります。そして、今の下本郷・下小島・上小島・保野・舞田・八木沢を通って、別所温泉に入ります。
この塩田の入り口の下本郷と下小島に、道沿いにそれぞれお地蔵さんが祀られています。
下本郷のお地蔵さんは「福神子安地蔵」という名前。
別所線の神畑駅から別所街道を西に行き、産川を渡ったすぐの所にあるます。まさに「塩田の入口」ですね。
子安地蔵は、安産や子どもの健やかな成長をかなえてくれるというお地蔵さん。2枚目の写真を見てください。胸の所に子どもの顔が見えます。子どもを抱いているんですね。
いつごろ、どんな経過で造られたのか、詳しくは知りませんが、下小島の北村家にあったお地蔵さんが、昭和の初め頃に今のところに移されたと、「下本郷の歴史」という本に記されているとのことです。
お地蔵さんが祀られている小堂の両側には、地域の人たちの手で花壇が整備されています。車で通ると見過ごしてしまいそうな所ですが、お花畑に子どもを守ってくれるお地蔵さん。ぜひ、歩いて見ていただきたいですね。
下小島のお地蔵さん「延命地蔵」は、別所街道の「下小島」の信号のすぐ近くの細い道端にあります。
下小島では、江戸時代の中頃、1683年に当時の上田藩主仙石政明の勧めで16戸が移ってきて新田開発を始めたそうです。そして、その9年後に延命地蔵が造られました。新しく田んぼを整備するという厳しい環境の中で、安心安全な生活を求めて建てられたのでしょう。
このお地蔵さん、雨乞いにも霊験あらたかということで、大正13年(1924年)の大干ばつの時、昼夜交替で鐘をたたいて祈願したところ、1週間後に雨が降ったといいます。
下本郷と下小島のどちらのお地蔵さんも、お供え物や着物などを見ると、今も地域の人たちに大切にされていることが分かりますね。
街道沿いの地蔵ということでは、鎌倉時代に塩田と鎌倉を結んだ「鎌倉道」にも祀られています。当時塩田を治めた塩田北条氏の武将たちや別所のお寺のお坊さんたちが通ったという道ですが、柳沢地区に「鉄焼地蔵」(かなやきじぞう)と「背長地蔵」があります。
この2体のお地蔵さんについては、前にお伝えしたので、いわれなどについては記しませんが、こういう道端にある仏像は、馬頭観音もそうですが、道を行く人やその村の人たちがいつでも拝めます。多くの人の思いをこれまでずっと聞いて、そしてきっと叶えてくれたのでしょう。(F森)