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大晦日に龍光院で除日の鐘を撞く 「午」のお地蔵さんも

大晦日の夜、新しい年となる午前零時をはさんで鳴るのは「除夜の鐘」ですね。全国各地の多くのお寺で一般の人も参加して行われます。
東前山地区の曹洞宗のお寺「龍光院」では、夜中ではなく、大晦日の正午から、だれでも鐘を撞けるということで、喜んで行ってみました。夜に弱く、早くに寝床に入ってしまう身としてはたいへんありがたいことです。
 12時前にお寺に着いたのですが、もう長蛇の列。多くの老若男女が鐘楼の前で待っていると、まず住職が鐘の前に進み、「ゴーーン」。余韻がいいですね、鐘の音は。
続いて、一般の方々が次々と鐘楼に上がり1回ずつ撞いていきます。
 なぜ大晦日に「除夜の鐘」を鳴らすのか。ネット検索でその歴史を調べてみました。
中国の宋の時代に禅宗の寺で行われていたのが、鎌倉時代に日本で広まったそうです。その頃は朝夕に撞いていたようですが、室町時代に夜の行事になったとか。
「除夜」とは大晦日の夜を指すのですが、「旧年を除く夜」という意味で、古い年を送り新しい年を迎える特別な時間だということです。そして、大晦日の日は「除日」というそうです。ですから、龍光院の鐘撞きは「除日の鐘」といったところでしょうか。
鐘の音は、その余韻も含めて心に響く音ですね。厳かな感じ、心が洗われるような気がしますし、人によっては物悲しい、あるいは郷愁を誘う心持になるかもしれません。
平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と出てきます。「諸行無常」とは、「この世のすべてが一時もとどまることなく絶えず変化し続ける」という仏教の根本の考え方です。平家物語の場合は、平家の滅亡のいきさつをあらわしたものなので、「盛者必衰の理をあらわ」して、悲しい結末を暗示させる言葉になっているのかもしれません。でも、世の中常に動いているというのは、仏教の基本となる教えですが、当たり前と言えば当たり前、事実あるいは現象のことをいっていますね。それを踏まえて、お釈迦様が教える一番大切な所は、無常だからこそ、過ぎ去った過去を悔いたり、まだ来ない先のことを不安に思うのではなく、今、自分のしていることに集中することが大切だということだと、自分的には理解しています。
だから、そのために曹洞宗や臨済宗の禅宗では、坐禅をしたり、作務をすることが修行の基本になっているのだと思います。
そういう意味では、余韻も含めて鐘の音を聞くというのは、何も考えずにただその音を聞くという坐禅に近い感じも受けました。この日、自分で初めて「除日の鐘」を撞いたときもそんな心持になりました。まさに「今 ここ 自分」。
 ところで、龍光院の本堂の左側に12体のお地蔵さんの像が並んでいます。それぞれ十二支の動物が横にいたりするお地蔵さんです。新しい年「午」のお地蔵さんは、馬の頭を手でなでています。
鐘を撞き終わって帰ろうとすると、住職の3人のお子さんたちが並んでいて「おみくじ引いてみてください」。一緒に鐘を撞きに行ったつれあいが引くと「一等賞」! 龍光院の末寺である中野地区の「瀧澤寺」のすぐ近くにある「若林醸造」の日本酒「つきよしの」とお米をいただきました。鐘を撞けたし、たいそうなおまけもいただいて、一年の最後にとても良いことがありました。除日ではありましたが、「除きたくない一日」になりました。(F森)

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