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お宮の名前を変えるのがブームだった明治時代の話

 江戸幕府から明治政府になった直後、神仏を分離せよという「神仏判然令」というお達しが政府から出され、これが「廃仏毀釈」につながっていきます。
また、神社の名前を変えるという動きも全国で出てきました。
「上田小県誌」という歴史書によると、上田小県地域でも同様で、特に明治2年(1868年)と3年には16社、明治11年(1878年)~16年にかけては48社が改称しています。
なぜか?という点に関してこの本では、明治2・3年はやはり神仏分離の影響があったとしています。また、明治11年からの5年間については、内政が整い、国民の神社に対する関心も高まりつつあって、「諏訪明神」とか「八幡宮」といった全国どこにもある一般的な名前から地域固有の名前に帰る機運があったことを挙げています。
では塩田地域ではどうだったのか。
明治5年に改称したのが平井寺の「古川神社」です。「熊野権現」という一般的な名前からの変更です。
そのほかでは、やはり明治11年からの3年間で名前を変えたお宮が多いですね。
例えば、明治11年には、中組にある「佐加神社」が「白髭大明神」から改称し、別所の「別所神社」が「熊野神社」から名前を変えています。
 また、明治13年には、奈良尾の「富士嶽神社」が「奈良尾富士浅間神社」から名前を変えました。
そのほか、明治14年には、下本郷の「八幡宮」が今の「誉田別神社」に、舞田の「舞田諏訪神社」が「塩野入神社」になっています。
 その後も、明治20年(1887年)に野倉の「諏訪大明神」が「塩田水上社」に、明治25年に八木沢の「諏訪明神」が「兜神社」になっています。
改称の理由は上田小県誌の記述のようなことがあったのかもしれませんが、興味のあるのは「どうしてその名前にしたのか?」なんです。
「富士嶽神社」や「別所神社」は、地域の名前や山にちなんで付けたと思われますが、、これがよくわからない所が実は結構ありまして、いろいろ文献などを調べているところなんです。
その中で、野倉の「塩田水上神社」については、「ふるさと塩田 村々の歴史」という本に理由が書いてありました。
それに記載されている「社号改称願」によると、「諏訪大明神」には「神社」が入っていないので氏子一同が不平を漏らしており、そのため改称したいとしています。
そして新たな名前については、野倉を含む22か村は「塩田」と称しており、また、野倉は塩田を流れる産川の最上流「水上」にあることから、ここに鎮座するお宮を「塩田水上神社」にしたいとしています。
江戸幕府による檀家制度や宗門人別改帳など寺を使った統治のやり方が変わり、「おらが村の鎮守の神様」としての神社の持つ意味が各村にとって大きくなってきた時、やっぱり名前にこだわるのもわかる気がします。
上に挙げたお宮以外にも名前を変えたところはいくつもありますが、どういう名前にするのか、きっと各村で議論があったのでしょうし、その結果今の名前になったんだと思います。(F森)

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