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塩田平の文化財 ―大姥様の悲しい物語―

塩田平の文化財を紹介するシリーズ。今回は、東塩田の奈良尾にある富士嶽神社の近くにある「大姥様」(おおばさま)という石造物です。
奈良尾の集落の南にそびえる「富士嶽山」(ふじたけさん 標高1034m)の頂上に富士嶽神社の奥宮がありますが、集落から道を少し登ったところに里宮があります。その右手のちょっと上に「覆屋」(おおいや)に大姥像は安置されています。
上半身をあらわにし、見るからに恐ろしい形相をしていますが、これにはこんな言い伝えがあります。
富士嶽神社の祭神は、木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)なんですが、彼女が二人のお供を連れて富士嶽山に登ろうと頂上を目指しました。昔お山は火の山で登るのはたいへんだったのですが、木花佐久夜毘売命はなんとか頂上に着きました。しかし、連れの一人の女性は途中で登れなくなり絶命してしまいました。また、もう一人は医者だったのですが、彼も頂上までは行けませんでした。そして、大姥様はこの連れの女性の像だということです。また、医者の方ですが、医者のことを昔「薬師」(くすし)と言いましたが、お宮から山を登って行った途中に薬師如来の像があります。
この女性、木花佐久夜毘売の姉の石長比売命(いわながひめのみこと)だとも言われています。木花佐久夜毘売は、天照大神の孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)の奥方なのですが、もともとは姉の石長比売命も一緒に嫁いだのです。ところが彼女は醜かったため、邇邇芸命は彼女たちのお父さんの元に石長比売命だけを送り返してしまったそうです。
こんな悲しい物語がある大姥様ですが、実は、造られたと思われる年号が背中のところに彫ってあり、室町時代の1466年(寛正7年)ということです。応仁の乱が始まる前の年で、木花佐久夜毘売や石長比売命がいた頃よりはずいぶん後になりますが、偉いお坊さんが願主となっていて、彼の雨乞いによって雨が降ったので像を造ったとも考えられています。
とはいえ、雨乞いの関係でなぜ大姥様の像なのか、ほかのところではお地蔵様など仏像が一般的なので疑問も湧いてきます。大姥様の表情、なにを訴えようとしているんでしょうかねえ。(F森)

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