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塩田平の文化財 -面白エピソードがある県内で一番大きな五輪塔-

別所線の神畑駅方面から通称「別所街道」を別所温泉に向かい「舞田」交差点の少し手前の道を右に入り、右手のちょっと小高い丘にあるのが「舞田金王五輪塔」です。県宝に指定されていて、高さが2.12m。県下で最も背の高い五輪塔なんです。
五輪塔は、元々は大日如来を尊ぶことから造られたものなのですが、そのうちに身分の高い人の供養のために建てられるようになったそうです。そして、この五輪塔は、隣にある法樹院の寺伝によると、鎌倉時代の武将である渋谷土佐入道昌順という人の菩提を弔うために建立されたということです。昌順の幼名が金王丸(こんのうまる)ということで、その名前から、金王五輪塔と呼ばれています。
五輪塔は、5つの石が積み重なっていますが、下から「地輪」「水輪」「火輪」「風輪」「空輪」と呼ばれ、地・水・火・風・空という密教で宇宙の構成要素を表しています。
で、この五輪塔の面白いのは、すごいエピソードがあるからなのです。五輪塔をめぐって、明治時代、地元の舞田村と北側にある岡村(国道143号線の北側の村)が争ったエピソード。
岡村の人たちは、五輪塔が鎌倉時代に岡村城の城主だった岡村権左衛門平清という人がいて、その人の墓であると語り継がれてきたそうで、舞田地籍にはあるけれども、これを岡村城跡に安置するべきということで、明治6年(1873年)5月、大きく重い五輪塔をどうやって運んだかはわかりませんが、岡村に持って行ってしまいました。
五輪塔がないのに気づいた舞田村の人たちは、方々探し、岡にあることがわかったので、交渉して結局舞田に戻されることになったのですが、その時から両村の仲は悪くなり、お互いの縁談は行われなくなり、嫁入りの道筋も舞田地籍は通らないことになったそうです。
そして、この状態が100年余りも続き、昭和50年にやっと両方で話し合い、いろいろ調査を進めて、昭和51年に仲直りの供養を五輪塔で行いました。そして、そのことは、NHKが取材して「百年目の和解」という題で放映されたそう。
 最初の写真は10年近く前に撮ったもので、今、五輪塔は屋根が付いた覆屋の中にあります。数年前に地元の方々が作ったもので、普段扉は閉まっているのですが、2枚目の写真は、ウォーキングイベントの際開けていただいたところを撮影しました。
車の多く通る別所街道からは300~400mくらい離れているので、なかなか人の目に触れることは多くないのですが、面白エピソードを思い出しながら見ると、「県宝」というだけでなく、なんとなく親しみというか、そんなものを感じます。(F森)

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